『富士日記』以外でも、本書に収録された「枇杷」や「椎名さんのこと」「富士山麓の夏」など、泰淳のことを回想したものには佳品が多い。いずれも死の影が鮮明で、哀切感も苦しいほどだが、文章はすくっと立っている。

 二、三日して私は肉まんをこしらえた。大岡と大岡の奥さんに二つずつやりたい、と武田がいうので、ふかしたてを持って行くと車がなく、玄関の前の凸凹した火山岩の石畳が、露でじっとり濡れていて、階下にも二階にも黒い雨戸がたてまわしてあった。その晩、「こんなに寒くてはバカバカしい。俺も帰る」と、武田はいいだした。そうして、東京に帰るとまもなく寝込んで、十月はじめに死んでしまった。(「富士山麓の夏」二五四ページ)

 どうということのないようで、こんなふうにはなかなか書けない。晩年、脳血栓のために執筆に困難が生じた泰淳のために、百合子は口述筆記の役を務めた。それが文章修業になったと言う人もいるが、百合子の書くものに過剰に作家・泰淳の影を見るのは考えものだろう。弟の鈴木修も、百合子の「文学修業説」には否定的だ。「百合子の表現のしかたみたいなものは、昔から百合子がもっていたもののように思います。小さいときから百合子の話は意外性に富んでいました。(中略)文章のリズムみたいなものっていうのは、読んでいてなつかしい感じがします」(「文藝別冊・武田百合子」所収「インタビュー 姉・百合子の素顔」)。同じ「富士」を舞台にした泰淳の重厚な『富士』と、百合子の『富士日記』とを読み比べてみても、二人の資質の違いは明らかだ。

 泰淳の短篇に「もの喰う女」(一九四八)というものがある。一方に男づきあいの多い、派手な顔立ちで神経質な弓子、他方にちょっとぼんやりしておとなしい、少女のような房子という二人の女性を配し、その間を主人公が揺れるという話である。この房子のモデルとなったのが百合子だった。作品の中で、神経が張りつめるような弓子との関係に疲れた主人公は、房子が「食べることが一番うれしいわ。おいしいものを食べるのがわたし一番好きよ」とあっけらかんと言う、その眩しいほどの明朗さに引きこまれていく。結末近く、酔っぱらって「オッパイに接吻したい!」と口走った主人公に対し、房子は一瞬のためらいもなく、乳房を露出する。それを「少し嚙むようにモガモガと吸」ってから、彼は果たしてこの素直さは何なのだ、愛なのか? トンカツを食わせたお礼か? と悩んだりする。

2024.01.26(金)
文=阿部 公彦(東京大学教授・英文学)