葵の上と光源氏

 平安宮廷社会では、「生む性」として出産を期待されているのは上層の女たちだけで、「生まない性」があらかじめ想定されている以上、同性愛関係のような子の出産に関わらない性愛もそこにくり込まれることになる。複数の女との性愛が「生む性」と「生まない性」との両方を含むとすれば、同性愛関係は「生まない性」の一部ということになるので、なんら問題視されることはない。

『源氏物語』において、光源氏との男同士の性愛が描かれているのは、召人との関係と同等に扱われているためである。反対に、現代社会の一夫一妻制度においては、すべての女が「生む性」であるがために、強制的異性愛主義といわれるように同性愛が忌避される。なぜならそれは労働力の再生産を妨げるものとされているからである。

 現代でも正式な妻との関係よりいわゆる不倫関係の方がドラマになりやすいように、『源氏物語』でも政略結婚で結ばれる「生む性」との関係は熱を入れては描かれない。元服したその日に左大臣家との政略結婚で結ばれた葵の上と光源氏とのあいだには、ただの一首の和歌のやりとりもない。それは恋ではなかったのである。

 『源氏物語』で光源氏は権力の中枢にのぼるわけだが、光源氏の子どもは極端に少ない。葵の上の産んだ夕霧、明石の君の産んだ明石の姫君と表向きには二人、そして藤壺の産んだ冷泉帝と三人の子しか持たなかった。葵の上の死後に正妻格となる紫の上は出産していない。あとから正妻格で入る朱雀院の娘、女三の宮の産んだ薫は表向きには光源氏の子だが、実際には頭中将の長男柏木の子である。『源氏物語』が権力再生産に関わらない女たちとの関係をこそ描こうとしているとすれば、それは摂関政治体制に対するアンチテーゼであったのかもしれない。

紫式部と男たち(文春新書)

定価 990円(税込)
文藝春秋
» この書籍を購入する(Amazonへリンク)

2023.12.20(水)
文=木村朗子