聖イレーネと共に描かれるセバスチャン

 ヨーロッパを旅すると、カトリック教会の場合、必ずどこかに柔らかな顎髭をたくわえた30歳前後の長髪の美男子(キリスト)が茨の冠を被せられて額から血を流し、衣服を裂かれて鞭打たれ、十字架に釘で打ちつけられて悶絶している彫像や絵画を目にする。それだけでも修道女には十分刺激的だと思うのだが、セバスチャンの場合は、キリストよりも年齢が若く、露出度はさらに高いので、これが問題視されるようになった。

 17世紀の半ば頃になると、聖セバスチャンは、ジョルジュ・ドゥ・ラ・トゥールやホセ・デ・リベーラの作品に見られるように、矢を射られた後で救出され、聖イレーネの家に運ばれ、介抱されている構図で描かれることが多くなる。これは明らかに、教会による女性信者対策の成果とでもいうべきもので、男たちだけの聖職者の世界ではほとんど視姦の対象にさえなっていた聖セバスチャンの肉体が、女性たちの好奇の目に晒されることなく、異なる文脈へと連れ去られた結果である。

同性愛者の守護聖人として

「女性も見るので、教会に置くセバスチャンをエロティックに描くのはまずい」という判断が聖職者である男たちによってなされたわけだが、その美しさに心を乱されたのは、女性ばかりではなかった。後に同性愛者となる男性の多くは、「聖セバスチャンの殉教図を見て(性的に)興奮し、初めて自分の性的嗜好を自覚した」と語っている。

 しかも、それを教会という、あらゆる欲望とはかけ離れたはずの場所で幼い頃に体感したために、強い罪悪感が残り、それがトラウマとなって、心に刻み込まれてしまったというケースが多い。

 セバスチャンが同性愛者だったという史実はないのだが、映画監督のデレク・ジャーマンをはじめ、多くの芸術家たちは自身の作品の中でセバスチャンを同性愛者の美しい若者として描いている。

 これは、キリスト教徒にとって同性愛が許されざることである以上、同性愛の作家たちがみずからを苦悶するセバスチャンと重ね合わせ、殉教者として自己同一視することで救いを求めようとしたためではないかと思われる。

 17世紀のイタリアに「腐女子」が存在したかどうかはわからないが、聖職者の部屋の掃除などに入った小間使いの少女が偶然に肉体美全開のセバスチャンの絵画を目にし、その話を他の女子にして、伝え聞いた女子たちもまた、盛り上がっていたのではないか……と想像するのは楽しい。

岩渕潤子

岩渕潤子 (いわぶち じゅんこ)
AGROSPACIA取締役・編集長、青山学院大学総合文化政策学部・客員教授。
著書に『ニューヨーク午前0時 美術館は眠らない』、『億万長者の贈り物』、『美術館で愛を語る』ほか。
twitterアカウントは@tawarayasotatsu

Column

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2013.07.06(土)