諸仏の配置から、密教の悟りがダイヤモンドのように堅固だと示している:重要文化財≪金剛界八十一尊曼荼羅≫鎌倉時代 13世紀 根津美術館蔵
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 会期が始まるのは少し先(7月27日)だがお忘れなく、ということで、今回は根津美術館での「曼荼羅展 宇宙は神仏で充満する!」について。外から借りてきた出品物を織り交ぜて構成する特別展ではなく、コレクションだけでこれだけのテーマ展を構成できる同館の底力を感じさせる展覧会だ。

 密教というと印を結び、真言(マントラ)を唱えて超常現象を引き起こす──というようなスペクタクルなイメージにこと欠かない。実際、平安時代の貴族たちの間では、病気の快癒を願うことから、天皇の後宮に侍るわが娘の皇子出産を祈ったり、政敵が失脚するよう呪詛することまで、幅広い(?)レベルの加持祈祷を密教が担っていた。

源氏物語で生き霊を祓ったのも密教

末法の後の世に現れるとされる弥勒菩薩の浄土、兜率天を描いている≪兜率天曼荼羅≫鎌倉時代 13~14世紀 根津美術館蔵
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『源氏物語』で身重の葵の上に取り憑いた六条御息所の生き霊を祓うために行われたのも、病室の隣に五大明王を並べて護摩を焚き、何人もの僧たちが真言を唱えるという、密教の修法だった。恋愛小説として知られる『源氏物語』だが、その中には密教僧が験力で生き霊を葵の上の身体から駆り出し、身分低い女房に乗り移らせるという、映画『エクソシスト』もかくやという凄まじいシーンが描かれている。

 こう書くとなにやら怪しげに(失礼!)感じられる密教の奥深い本質を、目に見える形で表現したものが「曼荼羅」だ。密教と関係なく「なんとか曼荼羅」という言葉としてポピュラーに使われる場面も多いけれど、その意味は? と訊かれると意外と説明が難しい。漠然と「曼荼羅」=「宇宙」と理解している人も多いのではないだろうか(個人的には「万華鏡」という言葉から共有されるイメージもあるような気がする)。

中国で生まれた密教の超常能力

人々の和合を願う愛染明王を本尊とした曼荼羅:重要文化財≪愛染曼荼羅≫鎌倉時代 13世紀 根津美術館蔵
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 だが本来の密教における加持祈祷は、人間がその身のまま仏となる「即身成仏」(インドから伝えられた仏教では、仏になるまでには何度も輪廻を繰り返し、途轍もなく長い時間がかかるものだとされたが、中国で展開した密教は今生の人生で悟りが開けると説いた)の論理体系において、聖なる仏(大日如来)の力(加持力)と、俗なる行者の力(功徳力)が感応した時、その両者を止揚する場の力(法界力)が発動し、通常の理路を超えた働きが可能になる──という論理で説明される。それが現世志向の中国で国家権力と結びつき、祈雨から病気平癒、ひいては国家鎮護まで、現実的な要求に対する「効果」の如何で評価されるようになっていった。

 日本で独自の密教を説いた空海もこの例にならい、810年、唐の宮廷内で信仰されていた密教に言及した上で、「国家の奉為(おんため)に修法せんと請ふ表」を提出、初めての護国修法を行った。こうした修法の場に掛け、奉じられたのが曼荼羅の図像だ。

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2013.06.22(土)