個人間のリスペクトで紡がれた琳派の系譜

尾形光琳の「群鶴図屏風」の流れを酌みながらも自由度の高い構成。:鈴木其一《群鶴図屛風》二曲一双 江戸時代/19世紀 ファインバーグ・コレクション
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 最初のテーマは「琳派」。平安時代になってようやくはっきりと姿を現した「日本的な美」を、その豊かな装飾性も含めてリバイバルしようという17世紀京都の町人、俵屋宗達にはじまる気運は、のちに琳派と名付けられる絵師たちに次々とリレーされていく。狩野派や土佐派が血統や師承関係によって継承されたのに対して、琳派は主に個人間のリスペクトによって流れがつながってきた。18世紀初頭の尾形光琳、19世紀初頭の江戸で「江戸琳派」の系譜を拓いた酒井抱一と鈴木其一、そして20世紀前半の神坂雪佳まで、先達の作品への深い敬意と、そこへ果敢にアレンジを加えていく姿勢とによって描き出された作品の数々が展示される。

市井の絵師たちが、のびのびと描いた文人画

中国古代の文人たちを、おおらかに描いた。:池大雅《孟嘉落帽・東坡戴笠図屛風》六曲一双 江戸時代/18世紀 ファインバーグ・コレクション

 一方、江戸時代には徳川幕府が倫理的な規範、また政治理念として尊重した儒学──孔子の教えを体系化し、道徳的な修養を積んで「仁」へ至ることを目指した思想──が武家から町人、農民まで広く浸透、芸術の領域でも儒学的な教養や漢詩文、中国の知識人(文人)が描いた絵画への憧れが深まっていった。第二章ではまず武家の知識人に受け入れられ、やがて町人の池大雅や農民出身の与謝蕪村ら、市井の絵師たちが日本的に解釈し直し、のびのびと描いた文人画を紹介する。

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2013.06.08(土)