vol.34 竹富島(1)
「雨の音が聞こえるんです」。
支配人が言った。
なんのことかと思ったが、ふと気づいた。東京で聞くのは、雨の音ではなかったのかもしれないと。
人工物に雨がぶつかって、痛がっている音なのかもしれない。
「雨が近づいてくるのがわかるんです」とも言われた。
遠くから雨が地面を打ち、葉を揺らし、次第に自分に近づいてくるのが、部屋にいてもわかるのだという。
それだけ竹富島は、「星のや竹富島」は、音がない。
風がない日は、庭にいても、車の音はもちろん、人声も、葉や鳥の声も聞こえない。
見上げれば、ただただ丸い空が、雲を浮かべて、ゆったりと広がっている。
見上げれば、数限りない星が、空いっぱいに広がり、手招きをしている。
音がないので、そこには空と自分しかいない。
宇宙の中にいる、人間としての小ささを感じるというのではない。
「なんくるないさ」という寛容が、自分の中に広がっていく。
朝は、陽の光で目を覚まし、お腹が空いたら、薬草茶を飲みながら、命草を集めたサラダを食べる。
日中は、木陰で本を読んではうたた寝をするか、誰もいない砂浜で、日がな一日思索に耽る。
夕方は島民たちと共に、砂浜で落ちる夕日を眺めよう。
夜は満天の星を眺めながら、泡盛を飲み、そのまま眠りにつこう。
そんな日々を暮らしたい。
そこには、“飽きる”という世俗的な考えもないはずだ。
できれば一カ月、ここにいたい。
切に、そう思った。
しかしそれは、のんびりしたい。都会から離れたい。自分を無にしたい、という理由ではない。
もし一カ月ここにいたら、自分の中で何が芽生え、変化するものか、確かめてみたい。
そう思った。
それは人間という業を背負った者の、特権なのだから。
2019.03.26(火)
文・撮影=マッキー牧元