世界を旅する女性トラベルライターが、これまでデジカメのメモリーの奥に眠らせたままだった小ネタをお蔵出しするのがこのコラム。敏腕の4人が、交替で登板します。
第194回は、芹澤和美さんがノーベル平和賞を受賞したあの偉人の歩みを確かめます。
「自由への長い道」の始まりは
ヨハネスブルグ
ここ数年、南アフリカ共和国にすっかり魅了されている私にとって、2018年は特別な年。なぜなら、この国の英雄、ネルソン・マンデラの生誕100年を数える記念すべき年だからだ。
40年以上も続いたアパルトヘイト(人種隔離政策)を撤廃するために戦い、勝利を勝ちとった後も私欲を追求しなかったマンデラのストーリーは、誰もが知るところ。私も、映画にもなった自叙伝『自由への長い道』を読んで、何度励まされ、涙したことか。
彼がこの国初の民主的な選挙で大統領に選ばれた1994年以来、南アフリカは新しい道を歩み始めた。2013年12月に95年の生涯を閉じた後も、マンデラは人々の心の中に生き続けている。
多民族、そして広大な国を導く政治的な手腕も、その心の広さも、知れば知るほど好きになるマンデラ。個人的には、3度の結婚(なんと3度目は80歳!)をしたことにも、人間味を感じて、親しみを覚えている。
2018年の夏、そんな私に舞い込んだのが、マンデラゆかりの地を訪ねるというスペシャルな旅のチャンス。香港から飛行機で約13時間。時間はかかるけれど、これは行くしかない! 国内線を乗り継いで田舎から都会まで、ひたすらマンデラを追う10日間の旅に出た。
まずは経済の中心都市、ヨハネスブルグへ。反アパルトヘイトを掲げて国と真っ向から対立していたマンデラと仲間は、この街で地下活動を行っていた。
彼の人生をダイジェスト的に紹介しているのが、「マンデラ基金記念館」。生前に使っていた執務室も公開され、写真を使った展示室では、まるでドキュメンタリー映画を観ているかのように、彼の足跡をたどることができる。
郊外にある「リリーズリーフ農園」は、一見するとのどかな田舎の農場だが、彼らの秘密基地だった場所。ここで労働者を装いながら、密かに会合を重ねていたのだ。
マンデラは1962年に活動資金集めのため国外に出るが、帰国後すぐ、無断に国外に出た罪で逮捕される。翌年、警察にこの秘密基地が見つかると国家反逆罪で終身刑に。46歳から27年間にもおよぶ獄中生活を強いられたことは、あまりにも有名だ。
2018.10.30(火)
文・撮影=芹澤和美