日本を代表する伝統芸能「能楽」

お能を舞うために自分で描いた扇。『妻紅花車藤棚図鬘扇』

 「能楽」のことを「お能」というだけで、どうでしょう、ちょっと雅(みやび)な感じがしてときめきませんか? 前回、私の息子がお能の子方をしていたと少し書きました。と、申しますのは私の夫と大学生の息子がプロの能楽師なのです。

 皆さんはお能をご覧になったことがありますか? お能って何? 能楽師ってどんな生活をしているの? 今回は、知られざる大阪の能楽師の暑い夏を追いながら、おススメの能楽堂や公演を御紹介しましょう。

 能楽は室町時代初期、観阿弥、世阿弥の親子によって大成された演劇(仮面劇、音楽劇)です。現在演じられている演目数は約250曲あり、その多くは「源氏物語」や「平家物語」などの古典文学、神話、縁起などが題材になっています。

 能楽は2001年、ユネスコの第1回世界無形遺産に認定された日本を代表する伝統芸能です。

 私が初めてお能の一端にふれたのは小学校1年生の頃。家族旅行で赤倉温泉に行った先の旅館の廊下に能面が飾ってあったのです。今思えば『小面(こおもて)』という年若い少女の面です。

 白い顔に赤い唇でほほ笑むその能面に私はくぎ付けになりました。これが何に使われるものか全くわかるはずもないのですが、でも、いつか関わる予感がして、深く心に刻みつけたことを覚えています。

 その予感は的中しました。あの能面に導かれたのか、大学時代のクラブ活動として能楽部に入部し、能楽三昧の学生生活を送ることになったのです。

前シテ静御前 中田文花(撮影:三宅昇介)

 師匠は観世流職分の故・山本真賀先生。関西能楽界を代表する名人でした。素人弟子ながら、書生のように楽屋の手伝いや、装束の修理など多くの経験を積ませていただきました。

 4回生の時、能楽部の自演会で能楽『船弁慶』の静御前をつとめました。能面は小面。

 日本画の勉強もしていたので、中啓という扇は自分で描き、京扇子の老舗で仕立ててもらいました。

 その時のお太鼓は夫と息子の師匠で、人間国宝 金春流太鼓方の三島元太郎先生でした。人生何がどこで繋がるやらわかりません。

 そして結婚したのが金春流太鼓方 中田弘美(重要無形文化財総合指定保持者)です。私たちは現在18歳の息子を能楽師として育てている真っ最中です。

 一般の家庭と違うのは、やはり日常にお能があることです。美しいお能の用語がちりばめられる会話。家に居ながらにしてお能のお囃子が聞こえてくるのはとても嬉しいことです。

 ある日、宅配便の配達が指定の時間に来なかったのでどうしたのか聞いてみたところ、

「あの……お祈りをされていたようですので声を掛けられなくて……」

「はあ? お祈りなんてしてませんけど!?」

 どうも太鼓の音と掛け声が、何か怪しい宗教のお祈りと間違われたようです(笑)。

2015.08.01(土)
文・撮影=中田文花