能楽師の子供たち

 あまり表だって紹介されることのない私共、能楽師の奥さんや子供たちについても書いてみます。

 家や役によって違いはありますが、能楽師の奥さんのイメージというと、お着物を着てお客様に挨拶する姿ではないでしょうか。特に主催者になることの多いシテ方の奥さんは出番が多く大変そうです。

 着物や足袋のメンテナンスは大切な仕事です。紋付袴といえどそれは制服であり、作業着ですから破れたりほつれたりで、繕い物は日常茶飯事です。

 子育てでは子供の稽古や舞台のため西へ東へ付き添うのも母親の仕事です。我が家は太鼓方ですが、息子が歩いて喋るようになると、まずは「お謡とお仕舞」から始めました。そして子方としてのお役もつき、小学校を休むことも多く、よく楽屋で宿題をさせたものです。成長に合わせて着物の身上げをしたり糸を解いたり私も大忙しでした。

 舞台を上手につとめた子方が楽屋に入ってしまうと、興奮冷めやらぬお客様に、私がかわりに囲まれて誉めていただいた、なんてこともありました。

 高学年にもなると子方は卒業ですし、お稽古も一人で通えるようになり、あっけなく母親の仕事は終わりました。今思えば、創作活動に没頭出来ない苦しさはありましたが、母親として華やいだ楽しい日々だったのかも知れません。

 共に修業を積む同世代の能楽師の子供たちは将来の仕事仲間でもあります。皆お腹の中にいるときからお謡やお囃子を聞いて育ちました。

小学3年生頃の中田一葉君

 幸いうちの愚息はお能が好きなようで、お風呂から聞こえてくる鼻歌はいつもお謡。小学校から帰宅してランドセルを置いたかと思うとすぐにお稽古をしていました。私がアトリエにいても聞こえてくる笛や太鼓の音で「ああ、帰ってきたな」とわかるのです。

 そんな彼ですが、どうしたことかお仕舞の初舞台の時だけぐずり出し、とうとう舞台をつとめませんでした。まだ4歳でしたので無理もないのですが、恐ろしく叱られたのはいうまでもありません。おもちゃを目の前で全部捨てられてしまいました。でも大切にしていた機関車トーマスやバズ・ライトイヤーの人形などは、夫の目を盗んで私がこっそり助けておきました。

 子供とはいえ稽古はとても厳しく、見ている私が縮みあがることもよくありました。お舞台に彼らの汗と涙が染み込んでいることを、松に宿る神さんが一番ご存じだと思います。

養成会の舞台から(撮影:工房円)

 大阪の能楽師の子弟は15歳になるとその多くは大阪能楽養成会に所属し、自分の専業はもちろん他の楽器も学びます。子弟だけではなく一般公募もしています。

 8月25日には東京、名古屋、京都、大阪、東西の若手能楽師による『東西合同研究発表会』があります。毎年開催地が変わり、昨年は東京の国立能楽堂、今年は大阪の大槻能楽堂です。

 10年、20年後の能楽界を牽引する若手達のお舞台を是非ご覧下さい! この公演は“無料”です。

 観客あっての能楽、観客が能楽師を育てるといっても過言ではありません。どうぞ応援をよろしくお願いします。あなただけのご贔屓を見つけ、成長を見守るのも楽しみ方の一つです。

 蝉の声と能囃子の絶えることのない暑い夏。こんな風に能楽師の夏は過ぎて行きます。

東西合同研究発表会
会場 大槻能楽堂
日時 2015年8月25日(火) 11:00~
演目 能楽 観世流『竹生島』、金剛流『胡蝶』他
料金 入場無料
座席 自由席
URL http://www.noh-kyogen.com/

中田文花(なかたもんか)
日本画家。描く事で仏教や日本の伝統文化を伝える。院展、万葉日本画大賞展など多くの公募展に入選。平成23年東大寺にて得度、在家尼僧となる。薬師寺機関紙挿絵、知恩院機関紙表紙絵を連載中。趣味:短歌、舞楽、龍笛、茶道。
ホームページ「文鳥寺画房」 http://bunchoji.com/
Twitter https://twitter.com/nakatabuncho

Column

尼さん日本画家 中田文花と遊ぶ古都風物詩

大人になったら東大寺でお土産を売る人になりたかった――お寺好きがこうじて尼僧になった関西在住の日本画家・中田文花さんが、関西の伝統文化と美の世界を分りやすく案内します。

2015.08.01(土)
文・撮影=中田文花