38歳のとき、本格的に演劇を学ぶためにニューヨークに渡った。「20~30代は、40代に個性を確立するための準備期間」と話す徹子さんは、80歳になった今も、日々、学ぶことをやめない――。
今から43年前、1971年に、私はニューヨークに1年間留学したことがあります。38歳のときでした。もともと、NHK専属のテレビ女優第一期生で、演技については素人でも構わないということだったんですが、ラジオやテレビでご一緒する俳優の先輩たちは、皆さん、ものすごく上手なの。私たちは、テレビなのでなるたけ自然な演技でいいと言われてはいたものの、ずっと芝居をやっている俳優の方たちは、存在感が違う。どうしてこんなに上手なんだろうと考えると、どうも皆さん、舞台の経験があるってことがわかったんです。だから私もいつか、劇団に入るかして勉強しなきゃダメだろうと思っていました。
勉強しにいらっしゃいよと勧められて
女優の仕事を始めて5年ぐらい経ったときに、杉村春子先生に、文学座に入りたいと相談したことがありました。杉村先生は「いらっしゃいよ、私が言ったら大丈夫!」と言ってくださったんですけど、「創立者の一人に反対されたんで、文学座の演劇研究所にいらっしゃい」と杉村先生がおっしゃって二期生になりました。そのあと、文学座が分裂しちゃって、「どうしようかな」と思っているときに、帝国劇場で上演された『風と共に去りぬ』のミュージカル版に出演したの。ブロードウェイのスタッフと仕事をしたら、みなさん、「勉強しにいらっしゃいよ」と勧めてくださって。ただ、当時の私はすごく仕事が詰まっていて、毎日朝のテレビ小説に出ていたし、「ステージ101」っていう音楽の番組でも、ミニスカートをはいて、「♪ターラタラッタラ~」なんて歌いながら、司会をやっていたんです。でもたしかに、「そろそろ休まないとダメだな」という気持ちもありました。このまま自分が芝居の世界でやっていけるのか。才能があるのかどうかもわからない。もっと勉強もしたいし、今のままじゃやっていかれないだろうな、って。それでニューヨークに留学しようと決めたんです。そのとき、「帰ってきて仕事がなかったらどうするの?」と、いろんな人から聞かれました。でも、私、15年テレビの世界でやってきて、帰ってきて仕事がなかったら、それは才能がなかったってことだから、違う仕事をやればいいじゃないかと思ったんです。
ニューヨークでは、「メリー・ターサイ演劇学校」「ルイジ・ダンススクール」で、演技やダンスを勉強しました。それから1年ぐらいしたとき、テレビ朝日が、女性が中心のニュースショーを始めることになって、その司会にというお話をいただいたので、日本に帰ってきました。本当はもっと長くいたかったんですけどね。
でも、人生であのときほど、いろんなことを学んだ時期はなかったように思います。まずは英語もそうだし、演劇学校ではウソのない台詞回しを。芝居のテクニックだけじゃなく、人間の生き方についても学びました。たくさんのスターの方たちにもお会いしました。ヘンリー・フォンダもキャサリン・ヘプバーンも。ものすごく優しくて、スターぶっていなくて、「人間がよくないと、俳優ってダメなんだな」と思いました。ハリウッドの俳優とは、「徹子の部屋」でお会いするんですけど、ダスティン・ホフマン、ロバート・デ・ニーロ、メリル・ストリープ……。いろんな方がいらしてくださって……、まぁ本当にみなさんね、あの……普通(笑)! ビックリするほど普通なの(笑)! 普通でなきゃ、普通の人間はやれないってことなんでしょう。
黒柳徹子 (くろやなぎ てつこ)
東京都乃木坂生まれ。東京音楽大学声楽家卒業後、NHK放送劇団に入団。NHK専属のテレビ女優として活躍し、フリーに。1984年ユニセフ親善大使に就任。今年39年目を迎えた「徹子の部屋」は、4月1日から正午に放送。新たなお昼の顔となっている。
2014.04.18(金)
文=菊地陽子
写真=吉田事務所