どこで、どのように作られたのか? 大礼服の謎が次第に判明

 赤と白の薔薇を織り込んだシルク生地に、金モールやスパンコールを惜しみなく使用した精緻な刺繍。これほど手の込んだ贅沢な大礼服は、いつ、どこで、どのようにして作られたのか。修復にあたっては、まずその謎を解明することが必要でした。

 プロジェクトチームは、当初日本とゆかりの深かったドイツあるいは他の西欧の国で製作されたのではないかと考えていました。が、裏地を外してみると、金属刺繍の補強材として和紙の反故紙を使用していることが判明。これにより、大礼服の刺繍は日本国内で行われたことが明らかになりました。

 また、ボディスを詳しく調べたところ、縫い糸がヨーロッパの標準的なものではなく、縫製の特徴も異なることが分かりました。つまり、仕立ても刺繍も日本国内で手掛けられたと考えられるのです。

 裂地については正確なことはまだ分かっていませんが、可能性として考えられるのは、さまざまな紋様を織ることができるジャカード機の使用です。京都府は1872(明治5)年に西陣織の職工3人をフランスに派遣、技術を学ばせたうえで翌年ジャカード機を日本に持ち帰らせています。その技術が普及していたなら、大礼服の裂地を国内で織ることも可能であったと思われますが、結論には今後の研究が待たれます。

 「京都・西陣織の職人がいち早く西洋に留学し、ジャカード機とその技術を持ち帰ったというのもロマンを感じました。私は京都出身なので、西陣織は小学生の頃に社会科見学をした経験もあったりして、身近なものだったんです。1着のドレスに、これほどまで広範囲で興味深い歴史が織り込まれているなんて、本当にすごい! 1冊の本で世界をつむいでいかねばならない小説家の端くれとして、素直に感銘を受けました」(一色さん)

2024.04.26(金)
文=張替裕子
写真=杉山秀樹