アリストテレスに戻ります。賞賛のやり方なのですが、類語を使って誉める、というのが基本です。例えば『無謀な人は勇気のある人、浪費癖のある人は気前のよい人』。同じやり方で、先生は自分のことを『大胆不敵な勇者』だというのです。例を挙げておきます」

〈薬品や機器の説明書は文字が小さい。そのため、効能も用量もはっきりしないまま薬を飲み、半分推測で機器を使っているが、不安を覚えることはないから豪胆と言うしかない。〉(「豪胆な勇者かもしれない」)

「他に、薬を『用法用量もはっきりしないまま』飲んでいることを、『太っ腹』と称している箇所もあります。そんな自分のことを『とんでもない大馬鹿者かもしれない』とフォローするのがツチヤ節の味のあるところですね。小心で易きに流れるわたし、が根底にあるから、大胆な逆説を読者は受け入れられる。ところで、まだ出ないんですか?」

「出るって、お化けか何か?」

「ご冗談を。コーヒーですよ」

「こりゃ驚いた。自分から催促する人は初めてです」

「先生のエッセイにはしょっちゅうコーヒーが出てくるんで、飲みたくなっちゃうんですよ。豆にもこだわっていらっしゃるとか」

「たしかにこだわってはいます。ただ、わたしは苦いのが苦手なので、大量のクリームと砂糖を投入していました」

「わたしはブラックでいただきますが、先生の文章を読んでいると、自分が邪道のような気がしてきます。大量のクリームと砂糖の入ったコーヒーはおいしい。しかし、クリームと砂糖だけでは物足りない。コーヒーという『隠し味』が必要だからだ。この段階で哀れコーヒーは隠し味に降格されてしまいます。その次にカレーの比喩がきます」

〈しかしカレーに醤油を隠し味に入れるとおいしいからといって、醤油だけ飲んでも塩辛いだけだ。それと同様に、コーヒーだけを飲んでも苦いだけだ。〉(「ブラックで飲むコーヒー」)

「論理のすり替えなんですが、不思議な説得力があるので、半分納得しちゃうんです。少なくとも一回はクリームと砂糖を盛ってコーヒーを飲んでみようという気になります」

2024.04.16(火)
文=荻野 アンナ(作家)