「最近、太りの方はどうなの?」

 祖母は時々、私の体型を見て心配そうに聞いてくる。その度にちょっとだけ腹が立つ。

「変わらないよ。ばあびもでしょ。」

 ばあびというのは、私の祖母の呼び名だ。私はかなり太っているが、彼女もまたかなり太っている。50近く歳の差があるのに、周りから見たら私たちの身体の形はそっくりらしい。

「青嵐も私と同じ、渇きの病いなのかしら。困ったものね。」

 時々こんなやり取りをしてお互いを少し心配し合うが、長続きしない。すぐにこれから何を食べようか? という話で盛り上がる。祖母は数年前にコロナに感染し、入院治療で奇跡的に回復した。しかし命と引き換えに、自力で起き上がるだけのパワーを失っていた。去年傘寿を迎え、在宅で介護サービスを受けながら都内のマンションで母と二人暮らしをしている。ベッドに寝ている祖母の身体は、とても太っているが、平べったい。年を重ねる度にどんどん溶けていっているように見える。

 祖母は私と同様、食べることが大好きだ。身体が自由に動かなくなってからは、食事は家族が作っている。今やテーブル代わりになってしまった平たく広がったお腹の上に、お気に入りのウィリアム・モリス柄のナプキンを載せて食事を待つ祖母の姿がたまらなく愛おしい。私にとって祖母は、最愛の人であり、ミューズであり、親友でもある。同居はしていないが近所に住んでいるので、ほぼ毎日会いに行っている。

 ところで、祖母の言う「渇きの病い」ってなんだろう。この言葉、なぜか妙に納得してしまう強さがある。祖母曰く、昔は食べても食べてもお腹が空くことをそう呼んだらしいが、説明を聞く前の方が腑に落ちる感じがする。なぜなら、私の場合はお腹が空いていることと、食べることが直接的に繋がっているわけではないからだ。確かに人よりは空腹感を感じやすいかもしれないが、お腹が空いていなくても食べたくなる時がよくある。空腹という言葉では補いきれない、ただ漠然とした渇きやすさを自覚している。

2024.04.05(金)