ありのままを人に見せることができるっていうのは、楽ですよ。相手の方もありのままに話してくだされば、私の方もありのままで対すればいい。昔の自分と比べたところで、これが今の私なんだからしょうがない、許してくださいと。年寄りっていうのはだいたいそういうふうに、私はもうこうなんだからしょうがないわ、許してもらうよりしょうがないわと、どこかで思ってますよ。

――それは「開き直り」とは違うのかと、あえて尋ねてみた。それへの答えをきっかけに、作家・佐藤愛子の話になっていった。

 自然体ですね。どう思われても構わないって。自然体で生きているっていうのは楽だし、相手の人も楽なのではないかと思います。

 

物書きになれたのは、個性を削らなかったから

 物書きっていうのはね、どう思われても構わない、という境地にいかなきゃだめなんですよ。そうでないと、真実に迫れない。いい文章を書こうと思ったらだめ、自然に出る文章でないと。

 だいたい私は、自然体を人に見せる生き方しかできないんですよ。女学校のときも変わり者でした。仲良くクラスに溶け込むためには、個性を削ったり抑えたりするでしょ。それをしないからね(笑)。

 先生に何か文句を言ったりすることがあっても、みんな抑えなきゃいけないって思いますでしょう。それをズケズケ言ったりしていました。それを個性にしてしまえば、通るんですよ。私はそれでやってきました。物書きになれたのは、そういう性格だからだと思うんです。

 佐藤家っていう家が、そういう家なんですよ。父がそうです。わがままなんです。兄もそうです。おまえ、あんなこと人に対して言うもんじゃないって、たしなめる人がいない。家中がそうだから(笑)。大変ですよ、佐藤家で融和して暮らすのは。

――佐藤さんの父は、作家の佐藤紅緑さん。兄は作詞家のサトウハチローさん。佐藤さんは佐藤家3代を小説『血脈』に著し、2000年に菊池寛賞を受賞した。執筆開始が65歳、終了が77歳。76歳で亡くなった父の「老耄(ろうもう)」も緻密に描写した。また21年に出版した『九十八歳。戦いやまず日は暮れず』では書き続ける自らをマグロにたとえ、父もマグロだったが70歳を前に筆を折り、普通の「おじいさん」として世を去った、と書いた。

2024.04.07(日)
文=矢部万紀子