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夢を諦めた妻に「やればよかったのに」と吐き捨てる夫

 作家として成功したジェシーに対し、セリーヌは、NPO法人の仕事をしながら、双子の育児や家事を主に担ってきた。私にだって音楽という夢があったのに、この9年間、育児や家事のせいで何もできなかった。なぜ女である私だけが、家庭内の多くの負担を引き受けなければいけないのか。そう不満をぶつけるセリーヌに、ジェシーは「やりたいことがあるなら、やればよかったのに」と残酷に返す。そのやりとりは『落下の解剖学』のサンドラとサミュエルのやりとりを彷彿とさせる。

 些細なことから始まったセリーヌとジェシーは、もはや後戻りができないほどに対立する。ここまで言い合ったらもう仲直りは無理だろうと誰もが思ったあと、映画はある種強引な幕の閉じ方を導入する。問題はなにひとつ解決していない。それでもパートナーとしての関係を諦めたくない。そんな未来への希望を残したハッピーエンドは、ラブストーリーとしては最高の結末だ。

 一方で、『落下の解剖学』のサンドラとサミュエルは、闘いの末に悲しい結末を迎えてしまう。一番の被害者は一人息子のダニエルだろう。けれど、悲劇に陥った家庭のなかで、サンドラとサミュエルがどこまでも平等であろう、そのために対等な立場を目指そうとした人たちであることは、忘れたくない。

 自分たちの目指す理想のため、徹底的に言葉をぶつけあう夫婦の姿は、けっして醜い争いなどではないはずだ。彼女たちは力の限りを尽くし、思う存分に闘った。その結果がどう出たのかは、映画を最後まで見たうえでそれぞれに受け止めるしかない。この映画が追求するのは、真実とは何かではなく、人生において何を選択するか、なのだから。

約60年前の「女性の自己決定権」を描く

 最後に、主婦としての生活に満足していたひとりの女性が、家庭内での平等について、そして社会における公平さに目覚めていく映画を紹介したい。中絶が違法とされていた1960年代後半から1970年代初頭のアメリカにおいて、密かに中絶を行い大勢の女性たちを救った実在の団体「ジェーン」をモデルにした『コール・ジェーン 女性たちの秘密の電話』(22)。

 エリザベス・バンクスが演じる主人公ジョイは、当初、社会の現状に大きな疑問をもたない人として登場する。けれど、予期せぬ病で違法中絶をせざるをえない事態に置かれたとき、彼女は初めて、この社会において女性には自分の身体をどうするかを決める権利すら与えられていないのだと気づき愕然とする。

 同時に、彼女は家庭内での夫との関係や、社会における男女の扱いについても疑問を持ち始める。なぜ夫は、早く帰った日でも自分の代わりに料理をしようとしないのか。学校で縫製や料理を学ぶのはなぜ女子学生だけなのか。こうして、ついに覚醒した彼女は、自ら「ジェーン」の一員として働き始める。

 今以上に性差別が激しかった1968年に、ひとりの女性がどんなふうに男女間の不均衡に気づき、闘士へと変わっていったかを、ぜひこの映画を見て知ってほしい。

映画『落下の解剖学』

2024年2月23(金・祝)TOHOシネマズ シャンテ他全国順次ロードショー
©2023 L.F.P. – Les Films Pelléas / Les Films de Pierre / France 2 Cinéma / Auvergne‐Rhône‐Alpes Cinéma
https://gaga.ne.jp/anatomy/


映画『コール・ジェーン -女性たちの秘密の電話-』

2024年3月22日(金)全国公開/配給:プレシディオ
©2022 Vintage Park, Inc. All rights reserved.
https://call-jane.jp/

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Column

映画を見る、聞く、考える

映画ライターの月永理絵さんが、毎回ひとつのテーマを決めて新旧の映画をピックアップ。さまざまな作品を通して、わたしたちが生きる「いま」を見つめます。

2024.02.29(木)
文=月永理絵