そんな午前中の出来事を反芻(はんすう)しつつ、

「私、コースをちゃんと走れるかどうか、自信、ありません」

 と改めて座卓に上体を乗り出し、菱先生に正直な気持ちをぶつけた。

 地方予選大会のコースを部員全員で試走したときも、ところどころにある道路の分岐点を見るたびに、「もしも、自分が選手だったら、ゼッタイ道を間違える」と人知れずビビっていた私である。

「まだ誰にも言っていないですけど、昨日も迷子になりかけました。旅館にいちばん近いコンビニに行ったら、自分がどこにいるかわからなくなって――」

「いちばん近いコンビニって……。旅館の玄関から、見えてるやつだよね?」

「夜になると道が意外と暗くて、コンビニ側から旅館が見えなかったんです」

 先生はひとつ、大きくため息をついてから、

「あのさ、本番で迷子になるとか、あり得ないから。沿道には人が大勢観戦しているし、他校の選手も走っている。だいたい、まっすぐ進んで、一回だけ右に曲がる。それだけのコースだから」

 と手にしたペンの先で、宙に「L」の字を描いて見せた。

「え?」

「アンタの走るコースの話。2区や3区は何度もコーナーがあるから、曲がるときのテクニックもいるし、アンタは集中して走れないかもしれないでしょ? 4区は前半が上りだから、ここは上りに強い美莉(みり)をあてたい。1区はキャプテンが最初に気合を入れるから、柚那で固定。てことで、アンタが走るのは、ここ」

 菱先生は手元の書類から、明日のコースが記された地図を引き抜くと、「第4中継所(西大路下立売)」と書かれた地点から、

「まっすぐ進んで、一回だけ右。迷いたくても、迷えない」

 とペン先で競技場のイラストまで進めた。

「先生、これって……」

「坂東。5区、任せたから」

 信じられない言葉に地図から視線を上げると、そこには部員からのいっさいの異論を認めぬときの「鉄のヒシコ」の顔が待っていた。

 全国高校駅伝は男子が42・195キロを七人で走るのに対し、女子は半分の21・0975キロを五人でつなぐ。

 つまり、私はタスキリレーのアンカーを託されたのだ。

八月の御所グラウンド

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文藝春秋
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2024.01.30(火)