『源氏物語』のなかの滑稽譚

逢ふことの夜をし隔てぬ仲ならばひるまも何かまばゆからまし


 逢うことが夜を隔てず毎夜のことであるような仲ならば昼間/蒜間に逢うのをまぶしく恥ずかしく思ったりはしない、という歌。さすがの即答でしたよ、と藤式部丞が語り終えると、うそばっかり! 出来すぎだぞ、と皆は笑った。

 紫式部は、父や兄弟が式部丞で、女房名を藤式部と呼ばれていたらしいのである。この学者の娘の設定は限りなく紫式部自身に近い。自分によく似た才長けた女を出してきて、ニンニクで臭いから会えないなどと無粋なことを言わせ、学者の娘ってこんなふうと下げてみせているわけである。

 光源氏の恋人たちのなかにも、笑える人物がさまざま登場し、滑稽譚がくり広げられもする。末摘花は、故常陸宮の娘で宮家の姫君なのだが、古い価値観を引きずっていて古風というよりもはや古臭いといいたくなるほどの人である。顔立ちもまずく、いつも寒々しい格好をしていて鼻の頭を真っ赤にしているので紅花を意味する末摘花と呼ばれている。父宮が残した由緒正しき和歌の作法の本で学んだとおりの歌を詠み、衣のやりとりの際には、「唐衣」と涙で袖を濡らすという和歌ばかりを送ってくるのである。

 唐衣君がこころのつらければたもとはかくぞそぼちつつのみ
 着てみればうらみられけり唐衣返しやりてん袖を濡らして
 我が身こそ恨みられけれ唐衣君が袂に馴れずと思へば

 いずれもあなたがつれないので涙で袖を濡らしていますという歌なのだが、光源氏は「古代の歌詠みは、唐衣、袂濡るるかことこそ離れねな」(古風な歌詠みは、唐衣、袂が濡れるの恨み言から離れられないのだね)と評し、最後にはあきれて次の返歌を詠む。

唐衣又唐衣から衣かへすがへすも唐衣なる

 思わず吹き出してしまうような歌である。この歌は結局、末摘花には送らずじまいになるから、光源氏の嘆きの歌は読者を楽しませるために用意されたものだ。光源氏のこの歌が出てくるのは「行幸」巻で、物語の中盤の玉鬘十帖にある。玉鬘とよばれる女君は、光源氏が若い頃につきあったものの死なせてしまった夕顔の娘である。

 夕顔は、頭中将が雨夜の品定めで語った、娘をなしたのに、北の方ににらまれてどこかに消えてしまった女君である。光源氏は偶然にその女君と知り合って、たちまち夢中になったが、とある廃屋で夜を過ごしていたときに、夕顔はなぞの女の霊にとり殺されてしまうのだった。光源氏は、夕顔を思い出すよすがとして夕顔付きの女房を邸に引き取ったが、後年、この女房が偶然、娘を見つけてくるのである。娘のほうでは父親の頭中将(そのときは内大臣)に会いたいと思っていたのだが、どういうわけか光源氏のもとにひきとられ、困惑する。

 子どもが少ない光源氏は、世の父親がやっている婿取りというのをやってみたかった。そこで玉鬘の素性を隠して、男たちが次々と恋文を送ってくるのを吟味するのである。同時に、はかなく消えた夕顔の面影をたたえる若い娘に光源氏はときめいてもいる。しかし玉鬘を妻にしたところで、紫の上より上の扱いにはできまいし、なにしろ内大臣の娘なのである。玉鬘と結ばれるということは内大臣家に婿入りすることになる。それは真っ平御免なのだった。

紫式部と男たち(文春新書)

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2023.12.20(水)
文=木村朗子