世界を旅する女性トラベルライターが、これまでデジカメのメモリーの奥に眠らせたままだった小ネタをお蔵出しするのがこのコラム。敏腕の4人が、交替で登板します。
第169回は、小野アムスデン道子さんがボストンの歴史を追体験します!
米国独立戦争の頃の面影が
あちこちに残る街
アメリカ東海岸、マサチューセッツ州の州都ボストン。旧埠頭を歩いているといきなり、ボンネットをかぶって日傘をさした、18世紀のような服装の女性とすれ違った。
そう、ここはアメリカ独立戦争の引き金になった「ボストン茶会事件」の起こったところ。女性は、事件で襲われたイギリス船を再現した博物館のアクティビティの演者だったのだが、レンガ造りの建物が並ぶこの辺りは、夕暮れの横丁にふっとそんな服装の人が立っていても不思議がない。
ボストンの街を歩き、地ビール醸造所を訪ねて、アメリカの古きよき歴史に触れる。
右:こちらは黄金のドームが存在感を放つ現在の州会議事堂。新旧ともに美しい。
海上から見るボストンは、港湾地区の赤レンガの建物の向こうに高層ビルが立ち並ぶ。ハーバード大学やマサチューセッツ工科大学をはじめ数々の大学のある学びの都であり、そして東海岸の金融拠点の一つでもあるボストン。現代の街並みとアメリカの建国時からの歴史的な雰囲気が不思議に溶け合っている街だ。
右:オールドノース教会の前に立つ、馬上のポール・リビア。
旧埠頭の地区には、歴史の一頁を飾った歴史的建物がたくさんある。1723年に建てられたボストン最古の教会「オールドノース教会」の鐘楼の壁には、1775年の4月にイギリス軍の奇襲をいち早く知らせるランタンが掲げられたことが示されている。
ランタンの指示をしたポール・リビアは、この大事を知らせるべくアメリカ軍の本拠地レキシントンまで「真夜中の騎行」で知らせに走った。この後のレキシントン・コンコードの戦いからアメリカ独立戦争が始まったのだ。ボストンでは、毎年4月にこの騎行の再現イベントもあるらしい。
このイギリス軍の侵攻の知らせをレキシントンで受け取ったのが、アメリカ独立の指導者であり、共に独立宣言にサインのあるジョン・ハンコックとサミュエル・アダムズだ。サミュエル・アダムズは、イギリスの植民地政策に反抗する植民地人をまとめ、独立戦争を指導。後にマサチューセッツ州の知事にもなった。
このサミュエル・アダムズが学んだのがハーバード大学で、なんとアメリカ合衆国ができる前からある(イギリス植民地時代の1636年設置)。そして、その名をブランドにしたビールが、ボストン・ビール社の「サミュエル・アダムズ」だ。
2017.10.30(月)
文・撮影=小野アムスデン道子