新江ノ島水族館で開催中の「ナイトワンダーアクアリウム2017~満天の星降る水族館~」と文藝春秋各誌による特別企画「ナイトワンダーストーリーズ」。夜のえのすいを巡るショートストーリーズ第五話は、ささやかな勇気の物語です。

» 第一話 「イワシと天の川」
» 第二話 「アカエイと甲子園」(Number Webへリンク)
» 第三話 「ミノカサゴと左の手」(文春オンライン:週刊文春へリンク)
» 第四話 「クエと白鯨」(文春オンライン:文藝春秋へリンク)

第五話「ネコザメとプロポーズ」

「間もなく五時。『ナイトワンダーアクアリウム2017~満天の星降る水族館~』の幕開けです……」

 このアナウンスが流れると、仕事中なのに毎日ちょっとワクワクする。新江ノ島水族館の中に星空が広がる、夜のアクアリウム。ぼくはただのアルバイトだけど、その瞬間のお客様の歓声を聞くだけで、なんだか誇らしくなるんだ。

 昨日も、お祖父さんらしき人に連れられて、一日中大はしゃぎしている男の子がいたな。仏頂面だったお祖父さんも、夜の相模湾大水槽を観たら、急に目が輝き始めた。巨大な水槽の周囲一面にプロジェクションマッピング映像を上映するんだから、そりゃあ気持ちもアガるよ。

 そういうぼくがここ“えのすい”で働いているのは、もちろん水族館が好きだから。小さい頃からサッカーやゲームより『海の生き物図鑑』が好きで、夢はずっと、水族館の飼育員。しかし、大学受験で目指した海洋学部や生物学部は、すべて見事に不合格だった。気の弱いぼくは結局、中途半端な大学に進んで中途半端な会社員となったのだ。

 だが、会社で配属された営業という仕事は、ぼくにはまったく向いていなかった。成績は少しも伸びず、上司からも見放されて、ぼくは2年で辞表を出した。

 そんなぼくに、

「ねぇ、アルバイトを募集している水族館があるよ。受けてみたら?」

 と言ってくれたのは、ぼくの彼女だ。高校時代からの付き合いだけあって、彼女はぼくのいちばんの理解者。本当は恋人がアルバイト生活なんて不安なはずなのに、「こんなチャンス、二度とないかもしれないよ」と背中を押してくれた。そのおかげで、ぼくは今、憧れの水族館で働けているというわけなのだ。

 もちろん、仕事は楽しいし、何より、飼育員の人たちからいろんな話を聞けるのが最高だ。さっそく遊びに来た彼女も、

「会社に勤めていた頃とは別人みたい」

 と、ちょっと呆れたような口ぶりだった。そういう彼女だってすっかり水族館好きになって、「ネコザメかわいいなぁ、欲しい~!」なんて言ってたけどね。

 本当は、やっぱり飼育の仕事がしたい。何とかお金を貯めて、動物飼育の勉強ができる専門学校に入り直したいとも思う。でも、それには時間がかかる。きっと、あっという間に三十代だ。そんな漠然とした生き方、許されるものなのだろうか。

 いつもの迷いがまた脳裏をよぎったその時、前を歩いていた女性のお客様が、ヒラリとハンカチを落とした。彼女は気づかず、旦那さんらしき人と先へ進んでいく。慌てて拾い上げ、後を追った。

「あの、お客様、これ落とされました」

 振り向いた女性は、ハンカチを差し出したぼくに、「まぁ、すみません」と笑いかけた。あれ、前にも来ていたご夫婦だ。

「夜の水族館って面白いわね。お仕事される方は大変でしょうけど」

「い、いえ、ぼくはただのアルバイトですけど、飼育員は本当に一生懸命です。24時間魚たちを見守っているし、ここだけじゃなく裏にも無茶苦茶たくさん魚が飼育されてるし、みんな自分より魚たちのほうが大事なんです。クラゲ担当の人なんて、もうクラゲのためなら何日泊まり込んでも平気っていうぐらいで、あ、もちろんそんなことしちゃだめですけど……」

 思わず前のめりになってしまったぼくに、クスッと笑って彼女は言った。

「水族館、お好きなのね」

「……はい」

 改めて言われると、照れくさい。

「好きなことを仕事にできるのは、いちばんの幸せよ。わたしの娘も水族館が大好きでね、きっとここで働きたかったと思うわ……生きていればね」

 言葉を失うぼくに、「じゃ、ありがとう」と言い、彼女は旦那さんのもとへ急いでいった。そうだ。あのご夫婦が記憶に残っていたのは、二人づれなのにどこか寂しげな気配が漂っていたからだ。

 娘さんはいくつで亡くなったのだろう。あのご夫婦は、どんな気持ちでここに来ているのだろう。思い出すことばかりで、きっと本当は辛いにちがいない。でも、それだけだったら、この夜の“えのすい”を、「面白い」とは言ってくれないだろう。

 あのご夫婦だけではなく、ここに来る人が皆ハイテンションとはかぎらない。怪我をして元気がない男の子も、仕事疲れを隠せない若い女性も見かけたことがある。でも、彼らだって帰る時には、不思議と少し明るい顔になっているんだ。水族館には、何かそういう魔法がある。生きていくための力をつないでくれる、不思議な魔法。それこそが、ぼくを水族館にひきつけてやまないのだ。

 彼女に言おう。不意にそう思った。何年かかっても、水族館の飼育員になる。そして、あのご夫婦を、もっと笑顔にしたい。だからそれまで待っていてほしい、と。

「何それ、プロポーズ?」

 彼女はそう言って笑うだろう。そしてきっとこう言うのだ。

「じゃあ、わたしのネコザメ、ちゃんと育てられるようになってね。約束だよ」


新江ノ島水族館
「ナイトワンダーアクアリウム2017~満天の星降る水族館~」開催中

(C)新江ノ島水族館/Tsutomu Sakihama

 “えのすい”こと新江ノ島水族館では、17時からのスペシャルイベント「ナイトワンダーアクアリウム2017~満天の星降る水族館~」を開催中。幻想的な映像コンテンツと美しいオリジナル音楽が生み出す、未知なる感動体験をお楽しみください。

» 詳細は特設サイトへ

ナイトワンダーアクアリウム2017
~満天の星降る水族館~

開催期間 2017年7月15日(土)~12月25日(月)
休催日 10月21日(土)

[パート1] 7月15日(土)~9月30日(土) 17:00~20:00
[パート2] 10月1日(日)~11月23日(祝・木) 17:00~19:00
[パート3] 11月24日(金)~12月22日(金) 17:00~19:00、12月23日(祝・土)~12月25日(月) 17:00~20:00

新江ノ島水族館
所在地 神奈川県藤沢市片瀬海岸2-19-1
電話番号 0466-29-9960
http://www.enosui.com/
※一般入場料のみでお楽しみいただけます。

2017.10.10(火)

CREA 2017年11月号
※この記事のデータは雑誌発売時のものであり、現在では異なる場合があります。

この記事の掲載号

やっぱり行きたいね、京都。

CREA 2017年11月号

やっぱり行きたいね、京都。

定価780円

鴨川べりの散歩道、かくれ家カフェに、しみじみおいしいごはん処――。忙しい日々の中でふと戻りたくなる町、京都。混んでいると聞いて最近少し足が遠のいていた人も、町が赤や黄色に色づく季節だから、久しぶりの京都旅にでかけませんか? 紅葉の隠れ名所に、外れなしのごはんリストなど、盛りだくさんの1冊になりました。