港町・神戸で、最初にチョコレートを作って販売したのは、ロシア人のマカロフ・ゴンチャロフ氏で、それは大正12年(1923年)のこと。続いて、大正15年(1926年)には、同じくロシア人のF・D・モロゾフ氏も作り始めます。ドイツ系のユーハイムの店ができ、神戸凮月堂がフランス式のチョコレートの販売を始めたのもこの頃のこと。

 神戸の街には、チョコレートの長い歴史があります。

「ショコラティエ ヤスヒロ・セノ」の「ボンボン詰め合わせ」は、箱にもちょっとした遊び心が隠されています。

 今回は、神戸のいちばん新しい、小さなチョコレートショップをご紹介しましょう。

 中心街・三宮から東へ歩くこと7、8分。新幹線の新神戸駅からまっすぐ海に向かって流れている生田川の手前角に現れる、手書きの立て看板とブルーグリーンのテントのお店。2015年11月6日にオープンした「ショコラティエ ヤスヒロ・セノ」です。

ひときわ目をひくブルーグリーンのテント。

 シックなモノトーンの店内がひんやりしているのは、チョコレートの品質管理のため。正面の平台には、大きな板チョコが数種類。奥のガラスケースの中には、小さな粒のチョコレートボンボンが宝石のように並べられています。

「ボンボン」は量り売り100g 2,400円。

 笑顔で迎えてくれたショコラティエ・瀬野靖大(やすひろ)さんは、1986年、愛媛県出身。小さい頃から、食べることやプラモデルを作ることが好きで、中学校の卒業文集に「ケーキ屋になりたい」と書いたと言います。東京の専門学校でお菓子作りを学び、赤坂の洋菓子店「アラボンヌー」で4年修業後、フュージョン料理レストランの「NOBU TOKYO」でデザート担当として働きました。そして、フランスへ。語学学校へ行きながら、色々なレストラン、パティスリー、ショコラティエを食べ歩きました。

オーナーショコラティエの瀬野靖大さん。
丹精を込めてひとつずつ手作りします。

 「フランスへ行くまで、チョコにはあまり興味がなく、お菓子を作る素材のひとつとしてしか見ていなかった」という瀬野さんですが、パリ郊外にアトリエを構えるM.O.F.(日本でいう人間国宝)のショコラティエ、パトリック・ロジェからショコラの奥深さを学びます。パリの星付きレストランのパティシエも務めますが、「フランスで出合って感じたチョコの魅力を日本で伝えたい」と帰国。すでにこのコラムでご紹介したブーランジェリー「メゾン・ムラタ」の村田圭吾さんとの縁で、神戸に出店。

 「神戸の景観や文化に惚れ込み、本物を作るなら神戸しかないと思って」とにっこり。

2016.04.03(日)
文・撮影=そおだよおこ