戦時の人々が暮らした地下トンネルの中へ

 非武装中立地帯のすぐ北側に隣接するヴィンリンというエリアは、かつての激戦地。ここは戦争中、北側から南側の反政府軍に支援物資を送る道だったことから、米軍の標的となり、容赦のない空爆攻撃を受けた場所だ。

 攻撃の標的となった地域には村々があり、多くの家族が家畜を飼い、田畑を耕し暮らしていた。日ごとに増す空爆から生き残るべく、村の人々が造ったのが、地下トンネルだ。ベトナム戦争時の地下トンネルというと、ホーチミンの郊外にあるクチトンネルが有名。クチは軍事目的で造られたが、ヴィンリンのトンネルは、あくまでも“生活の場”。トンネルの中は、産院や病院、集会場、井戸まで整備されていたという。

左:爆弾が投下された場所には、いまも大きな陥没跡が。
右:ひっそりとあるヴィンモックの地下トンネル入り口。

 一帯に造られた地下トンネルの中で、今でも残っているのが、ヴィンモック村のトンネル。内部は全長役2.8キロ、地下1階から3階までの3層になっていて、一番深いところは23メートルほどにもなる。ここには、約4年にもわたって、約600人もの村人が暮らしていた。

 ヴィンモックのトンネルは現在、戦跡として公開されている。入り口で入場券を買い、樹木が生い茂る林の中を歩いて、いざ、地下トンネルの中へ。トンネルの出入り口は数か所にあるが、このほかにも、地下トンネルが見つかってしまったときのために、ニセモノも数か所に造られていたそうだ。

薄暗い地下トンネルの中へ。内部はところどころ灯りがあるけれど、懐中電灯がなければ歩けないほど暗い。

 内部はいくつもの分かれ道や上下に続く階段がある。歩き進むと、産院や共同の台所、集会室として使われていた横穴があって、当時の様子を再現する人形が置かれている。トンネル内では、芋やタピオカを食べて飢えを凌いでいたものの、太陽をまったく浴びない生活が続いたため、骨や皮膚の病気を患う人も少なくなかったという。長い長いトンネルをひたすら歩いて出口を出ると、海がキラキラと輝いていた。

地下トンネル内には、人形で当時の暮らしが再現されている。人形とはいえ、当時の生活が想像できてかなりリアル。

 このヴィンモックのトンネルや非武装中立地帯を訪ねたければ、ドンホイやフエなど中部の都市部で催行されている戦跡ツアーに参加するのがいい。私たちが拠点にしたドンホイには、ベトナム戦争中、米軍の空爆で破壊された教会が、都会の中にぽつりと残されていた。

空爆で破壊されたタムトア教会。周辺はレストランやカフェが立ち並んで、とても平和な雰囲気。

2015.08.11(火)
文・撮影=芹澤和美