山本 スパイ同士、リリーとヤンファは出自を知られないようにしなければならないという前提があって、互いの過去に深く踏み込まずに物語は進んでいきます。でも、大事な瞬間には必ず相手が目の前にいるということが、シーンを通して鮮烈に描かれている。相手を思う描写も要所要所にある。きちんと恋愛を描いた、すごく上手な小説だなと思いました。

 川俣 歴史背景の描き方や表現の一つひとつがどれも良かったです。ただ、私は恋愛要素は薄いように感じて、完全にスパイ小説として楽しみました。この作品が小説すばる新人賞を受賞したデビュー作だと、読み終えてから知って驚きました。次作もぜひ読みたいです。

 加藤 私も戦時下のスパイ小説としては、最高に面白いと思いました。漫画で読んでみたくなるアクションシーンや個性あふれる登場人物たちに、ぐいぐいと引き込まれました。ただ、恋愛小説かと言われると違う気もして……。

 花田 2人の信頼関係に、「思い出すだけでどきどきしちゃう」というようなベタベタした要素がないのがむしろ良かったです。大切な存在に対して、生きていてほしい、助かっていてほしいと願う気持ちは大人だと思います。淡々と出来事が紡がれていくところも魅力的でしたね。命が危ない状況下のやり取りでも、心理描写が抑制されていて、それでもなお場面に惹きつけられました。

 高頭 情景描写も素晴らしいですよね。冒頭10ページで「これは好きだ!」と思って。リリーは、もともと良いお家に生まれたお嬢様だったのですが、各地を転々として、今は女給として働いている。ドラマティックな設定を、専門家だからこそ描けるディテールが支えています。青波さんは、この作品で「恋愛小説を書こう」とは思っていなかったのかなとも思います。でも、リリーとヤンファの関係性や掛け合いを、もっとねちねちと描いてくれていたら……(笑)。

 リリーとヤンファに、実は決定的な繋がりがあったと思い出すシーンがありますよね。そこの伏線がもっと描かれていたら、恋愛小説としての魅力がより一層引き出されたかもしれません。

2024.03.28(木)