この記事の連載

 ミュージシャンで文筆家の猫沢エミが破天荒すぎる家族について書いたエッセイ『猫沢家の一族』(集英社)。ユーモラスかつせつない家族の歴史が描かれる同書から、一部を抜粋し掲載する。


父と祖父の、家の中での“定番の姿”とは

 小学校の中学年頃、真っ赤な生地に呪いのような黒い太陽が渦巻くエキセントリックなTシャツを買った。すると母に「いい! あんたみたいなパンチのある顔には、このくらい派手な服が似合う! これからも人の目なんか気にしないで、派手な服をどんどん着なさい」と言われた。

 なぜこの時、自分で買ったTシャツを母に見せたのかといえば、買ったのはいいけれどこんなものを着ていったら、悪目立ちして学校でいじめられやしないか? という一抹の不安があったからだ。しかし母がそう言うのなら、きっと大丈夫……と、翌日学校に着ていくと、あっさりその日からいじめの標的となり、クラスのほぼ全員が口をきいてくれなくなった。

 それで家に帰るなり、母に「お母さんがいいって言ったこのTシャツ着てったら、みんなに無視されたよ。もう、学校に行きたくない」と文句を言った。ところが母は、謎のアルカイックスマイルをたたえながら「ん、そっか。闘ってこい」と、ひとこと言っただけで、私はその日から数ヶ月にわたり、学校でのいじめに遭い続ける羽目になった。

 そんな猫沢家で成長した私の“服”に対する基本的な感覚は、相当トチ狂っていたと自覚している。外面と内面に天と地ほどの落差がある猫沢家。内情はグダグダでも、見栄っ張りな彼らが対外的に装う時は、必要以上にビシッとキメる。しかし家の中では、基本的に祖父と父は全裸でいることが多かった。

 祖父はトレードマークの白い褌一丁。かなり晩年になって体が弱るまで、祖父のパンツを穿いた姿は見たことがなかった。そして父に関しては風呂上がり後の数時間、完全なる全裸で、娘が年頃になっても一向に気遣う様子も見せず、母が称賛する“バズーカ砲”をぶら下げたまま、何時間でも家の中をうろうろしていた。

 その姿を見るたびにホモ・サピエンスという単語が浮かび、もはや父などという社会的立場の役割名も、彼が固有名詞を持った現代人であるという認識も遥か遠くに消え去り、博物館の標本が目の前で動いている感覚でしか、父を見ることができなかった。そんななか、悲劇は起きた。

 高校時代のある日、父が山の上に建てた二世帯住宅の新居に、親友のNが遊びに来た。リビングでお茶を飲みながら話をしていた時、その向かいにある風呂場から父の鼻歌が聞こえてきた。一瞬、ヤバいな……とは思ったが、来客についてはもう知っているだろうからわざわざ言わんでも……という私の読みが甘かった。

2024.03.29(金)
著者=猫沢エミ