今年8月に都内で公開され、SNSを中心に話題になっている映画『野球どアホウ未亡人』。昭和チックのインパクトあるタイトルとあまりに荒唐無稽な展開から、リピーター続出! 映画ファンだけでなく、映画館や業界関係者など、ジワジワ“どアホウ”信者を増やしつつある“インディーズ映画界の下剋上監督”小野峻志とは、果たして何者なのか?


●「怪奇大作戦」が繋いだ相棒との出会い

――幼い頃の夢は?

 小学校に入る前に、親に買ってもらった「ドラえもん」にハマったこともあり、10歳ぐらいまでは漫画家になりたかったです。よく近所のレンタルビデオ店に置いてある『ゴジラ』などのパッケージ写真を記憶しては、家に帰って落書き帳に描いてました。でも、同じ顔を書けないので諦めました(笑)。

 ただ、映画なら同じ役者さんが演じるので、漠然と「映画監督になりたいかも?」と思い始め、特に好きだった特撮・怪獣モノを作りたいと思うようになりました。

――その後、日本大学芸術学部映画学科に進学されます。

 中学を卒業したぐらいの頃には、すでに日芸に行きたいと思っていました。ただ、進学した高校には映画研究会がなくて、演劇部に入って脚本と演出もやりつつ、ときどき役者としても出ていました。

 誰かが書いた脚本が嫌だったので、オリジナルをやっていたのですが、3年生に書いた芝居は、夫にかまってもらえない主婦とそのアパートに出る女の幽霊の友情物語。今思うと、高橋留美子さんが「ビッグコミックオリジナル」で描いていた読み切りシリーズを意識していたんだと思います(笑)。

――日芸では監督コースを専攻され、そこで現在プロデューサーや脚本を務める相棒的存在である堀雄斗さんと出会い、映画制作チーム「カブ研究会」を設立されます。

 堀と出会ったのは、新入生歓迎合宿ですが、それまで監督コースの人たちと話しても、自分が好きな昔の日本映画の話題ができなかったんです。でも、映像表現理論コースにいた堀は違ったというか、出会ってすぐに「怪奇大作戦」(1968年に放送された円谷プロ製作の特撮ドラマ)の話題で盛り上がったんです。

 その後、「小野くんと似たようなメンバーが集まったから」と連絡があり、「カブ研究会」を設立しました。“カブ主”と呼ばれる中心メンバーが6人で、あとは映画制作のときに参加してくれる準構成員が数人いました。

2023.11.17(金)
文=くれい響
撮影=細田忠