注文を待つ間に、開店までの経緯などを訊いてみたのだが、これがなかなか素敵な話だったので紹介しようと思う。

池田兄妹の前職は「名代富士そば」

 恵さんと晃久さんの前職は大手そばチェーン「名代富士そば」だったそうで、高田馬場店や恵比寿店などで店長をしていたという。職歴は妹の恵さんの方が長かったとか。

「妹は11年、私も7年近く勤めていましたので、店の運営や天ぷら、つゆなどの調理はすべてやりました。名代富士そばさんには感謝しかありません。本当にお世話になりました」と池田店長はいう。

 開店時にはダイタングループの若き社長が応援に来てくれたそうである。「緊張と感激感動感涙の嵐だった」というのも頷ける。

 そもそも、2人はなぜ食に興味を持ったのだろうか。それはお母さんの影響が大きかったという。「休日など家族で外食に行って美味しいものを食べると、母はすぐ再現してくれてレシピを把握できる舌をもっていた」とか。それで2人も小さい頃から料理に興味を持っていて、前職を選んだのはそれがきっかけだったという。

「そば屋をやろう」と誘ったのは妹の恵さんだった

 この3年間、コロナ禍で外食産業は大変な状況を迎えていた。「名代富士そば」も同じく厳しい環境が続いていた。

 そんな中、ある日家族で会話をしている時、妹の恵さんが「どうせこれからも大変なら、自分たちで食堂のようなそば屋さんをイチからやってみたいな。お兄ちゃんやろうよ」とふと呟いた。

 兄の晃久さんはそれを聞いてハッとして心に響いたという。「よしやってみようか! お母さんにも声かけて家族でやろう」とトントン拍子で話が進んでいったという。

 

 動き出したのは今年の1月。若い人たちは行動が速い。もちろん前職の店にも迷惑がかからないような出店地を探した。そして、若い人からお年寄りまで年齢層が広く、周辺にお蕎麦屋さんが少なかった今の板橋区役所前に出店を決めたという。「旧中山道には商店街があり街の雰囲気も暖かく、交通の便もいいので即決定した」と2人は口をそろえていう。

2023.06.11(日)
文=坂崎仁紀