二重人格的なフレーズの意外なつながりが面白い

伊藤 今回ピックアップした「涙のように好きと言えたら」を聴いて思ったのは、アーティストとプロデューサーの共作感がしっかり出ていて、そこが面白いケミストリー(化学反応)を起こしていると思ったんです。タイトルにもなっているサビ部分「独り 部屋で流す 涙のように キミに『好き』と言えたらいいのに……」なんですが、普通「独り 部屋で流す 涙のように」ときたら、次に続く詞は“悲しい”などのネガティブ表現がきますよね。でも、ここでは「キミに『好き』と言えたらいいのに……」とポジティブな言葉と“願望”がきている。まるで、2つの別々の詞をくっつけたような不自然さ。でも「あれ、でもこれなんかよくない?」って生まれてきちゃったような二重人格フレーズなんですよ。あと、1番のサビの最後のフレーズ。サビの最後といえば、A・Bメロとサビ全体をまとめる重要な内容が表現されているだろう部分なんですが、ここで「キミの幸せ 願っているよ」と締めくくっているのです。しかし、2番のBメロでは「幸せ願っているなんて そんなの そんなの ただの言い訳……」と1番にケンカを売っている。曲全体を纏める最後サビでは、もう一度「キミの幸せ 願っているよ」とフルスイングで殴り返す感じが、良い意味で意外性を醸していると思います。元バンドメンバーという、お互いを良く知るアーティストとプロデューサーだけに生まれた“裏切り”がオリジナリティー&スパイスになっているように感じます。

山口 なるほど。Co-Writing(共作)の方法にもいろいろありますが、本作は、膝を突き合わせている姿が目に浮かびますね。

伊藤 膝を突き合わせながらも、アーティストとプロデューサーのそれぞれの立場で戦っている。それでも同じゴールに向かってシュートを打っている感じが気持ちいいです。

文学青年が通学電車で恋に落ちる映像を妄想

山口 曲はすごく良いと思うんだけど、MUSIC VIDEOはどうですか?

伊藤 なんか曲の内容よりもアーティスト・イメージを優先した感じで、過剰に“応援歌アーティスト”をアピールしているように感じませんか? 1ミクロンも応援歌じゃないんですけどねぇ。僕がこの曲を聴いて観えた映像は全く別のモノで、こんな人物と世界感です。

山口 作詞アナリストの妄想分析癖を刺激したんですね(笑)。

伊藤 黙って佇んでいる青年がいます。真っ黒な髪は斜め前に撫でつけられ、額の全てを隠し、消え入りそうな一対の瞳までも覆っている。少し覗いた目は、やたらと黒目がちで光っているようにも曇っているようにもみえる。青年は沈黙を破るというよりも、それを計るように口を開きます。「彼女とは、大学に行く途中の電車のなかで出逢いました。いつもの席に座って『海辺のカフカ』を読んでいると、すらっとしたジーンズに包まれた脚が目の前に立ちはだかりました。顔をあげると鳶色の長い髪が腰の上で揺れていて、さらに見上げると窓の外を覗いている彼女の顔がありました。その顔はまさに若かりし頃のカーラ・ブルーニでした。そして、たった1秒で僕は恋に堕ちたんです」。そういうと青年は黙って、何もない足元をしばらく眺めています。

山口 文学青年って感じですね。カーラ・ブルーニって、前フランス大統領サルコジの奥さんですね。絶頂的な美人です。それは恋に堕ちるでしょうね。そして、その青年は?

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2013.11.27(水)