これが推しか。ここが沼か。

 笑顔が素敵な写真をぼんやり眺めていた初期は、いま振り返れば平和だった。動く姿が見たいと欲を出したのが間違い。検索に出てきたのは、板から降りた推しがバラエティ番組かなにかでしゃべっている姿。推し、明らかに挙動不審である。思ってたのと違う。

 慌てて板の上の、つまり本来の推し動画を観た。推し、今度は体中の毛穴から自我が噴出し過ぎている。形の良いザクロが真ん中からぱっくり割れ、血豆のような赤黒いツブツブが剥き出しになっているよう。

 グロテスクなのに、どこかユーモラスでもある。一挙手一投足、全力の支離滅裂から目が離せない。用意周到を気取り、他人につけ入る隙を与えぬ好戦的な私には、絶対にできない生き方だ。どうしよう、もう大好きだ。目の前には「推す」しか選択ボタンがなかった。で、何をすればいいんだっけ。

 推し方もわからぬまま、それからは狼狽の日々。自分がこんなに気持ちの悪い人間だとは知らなかった。この欲望は食欲に近い。むさぼり食っていないと気が済まない。夢中でインスタグラムを遡ると、一、二年のスパンで姿かたちがガラリと変わっており、最終形態が見えない。二年くらい前のわかりやすい容姿でソツなくやる選択もあったろうに、いまじゃトーテムポールのいちばん上みたいになっちゃってるよ。まあいいけど、それがあなたのやりたいことならば。

 「どう伝えるか」より「やりたい」が先走るあなたの姿は眩しい。私なんか上手に躱すことばかり考えて、何がやりたいのかわかんなくなっちゃったから。

 フォルダはあっという間に推しの写真でいっぱいになり、スマホが動作不良を起こす。自分が撮った現実(=推しより価値が低い存在)の写真をバンバン消去する。選りすぐりの134枚は別フォルダに移し、ぴったりの曲をBGMにスライドショーを眺めながら「最高じゃん!」と雄叫びを上げ、私って本当に気持ち悪いと凹んでから床に就く毎日のスタートだ。

 気持ちがヒートアップすると、女はクラフト好きになる。ほら、うちわとか。「推し活をするあなたを推すよ」と言ってくれた奇特な女友達と私も例外ではなく、二人の会話で使うためだけに、LINEスタンプを模した文言入り画像を200個も作った。手を動かさずにはいられないのだ。画像は「おはよう」から「おやすみ」までなんでもあるが、他人が撮影した写真を勝手に拝借し、切り刻んで好きな言葉を入れるなんて、胸を張って言える趣味ではない。自分と同じく多様なレイヤーを持つ人間であることを無視した、キャラクター消費という低俗な娯楽以外のなにものでもないし。頭ではわかっているのだ。でも心が追いつかない。慎重であろうとする私を、歓喜のゴムまりになったもうひとりの私が跳ねるように追い越してゆく。辻褄なんて合わなくても、嘘がなければ私はどこまででも行ける。

 立ち上がれないほどつらいことがあった日は、誰もいない仕事場の応接デスクの上に横たわり、スマホのアプリで推しの肩に猫を乗せ宇宙の写真と合成した。「大丈夫だよ」と文言を入れる。私の名前(本名)を呼んでいる吹き出しつき画像もこさえた。これじゃあ信仰だ。本当にどうかしている。だが、確実に救われている。

2021.12.10(金)
文=ジェーン・スー
イラスト=いえだゆきな

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※この記事のデータは雑誌発売時のものであり、現在では異なる場合があります。

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