2019年2月、近田春夫の綴る週刊文春の長寿連載「考えるヒット」から興味深い書籍が誕生した。

 『考えるヒット テーマはジャニーズ』(スモール出版)。タイトル通り、ジャニーズ事務所に所属するアイドルたちの曲を扱った、神回ならぬ「ジャニ回」を抽出してまとめたスピンオフ的な一冊である。

 その出版を記念し、ジャニーズ事務所が60年近くにわたって生み出してきた音楽をめぐって1951年生まれの近田氏と語り合うのは、2016年に『ジャニーズと日本』(講談社現代新書)を上梓した1983年生まれの矢野利裕氏。

 32歳違いのトークをお楽しみあれ!


▼talk01
ジャニーズとの出会いの記憶

左から:矢野利裕氏、近田春夫氏。この対談が初対面の機会となった。
左から:矢野利裕氏、近田春夫氏。この対談が初対面の機会となった。

――まずお二方のジャニーズとの出会いから話していただけますか?

近田 何度も書いているけど、最初のジャニーズができる前、フジテレビで日曜の昼間に「森永スパーク・ショー」(1962~63年放送)っていうポップスバラエティみたいな番組をやっていたんですよ。

 その中に一般のお客さんを入れて踊るシーンみたいなのがあって、実際はみんな仕込みなんだけど、その中にひとり、長沢純(元祖男性アイドルグループ、スリー・ファンキーズの元リーダー)に顔の似たやたらめったら踊りの上手な人がいて、とにかくその人に目が行っちゃうわけ。いまだに忘れられないぐらい。

 後日テレビで、ジャニーズっていうグループがデビューすることを知ったときに、「あっ、あの『スパーク・ショー』で踊ってた人じゃん」って。それが真家ひろみさんだったの。

――そのとき初めてジャニーズというものを認識されたんですね。

近田 そう。ジョージ・チャキリスが出ていた映画『ウエスト・サイド物語』(1961年公開)が一世を風靡した時代で、ジャニーズもあの雰囲気の踊りをやる人たち、という印象だった。僕にとってはそれ以上でも以下でもなかったね。

 というのは、自分は小学生ぐらいのころからロックっぽい音楽が好きで、ミュージカルみたいなものは趣味じゃなかったから。ああいうものは女子系みたいに思っていた。

――そんな近田さんが興味を持ち始めたのは?

近田 そのあとエレキブームが起こって、GS(グループ・サウンズ)全盛のころに日本テレビで「プラチナゴールデンショー」(1966~71年放送)という番組があったんですよ。

 僕は寺内タケシとバニーズを見たくて見ていたんだけど、レギュラーにフォーリーブスもいたもんだから、趣味じゃないけど見ていたの。「子役で出ていた江木俊夫じゃん」とか思いながらね。

 フォーリーブスの最初のころに、永田英二って人がいてさ。小学生だったから児童福祉法に触れるとかですぐに脱退しちゃって、代わりに青山孝が入ってデビューしたんだけど、とにかく永田が歌も踊りも天才的だったんだよ。そこで初めて興味を持った。

 フォーリーブスってCBS・ソニーレコードの邦楽最初のタレントだったよね。

矢野 そうです。

近田 その最初の曲(「オリビアの調べ」1968年)がつまらない曲で、がっかりしたのを覚えているよ。そのころ永田英二がハイソサエティーというバンドのメンバーになって、交流というほどじゃないけど、なんとなく付き合うようになった。

 ただ、俺はどこまで行ってもジャニーズ側じゃなくてGSとかロック系だから、あくまでも冷めた目で見ていましたよ。

――近田さんよりかなり下の世代の矢野さんはどうですか?

矢野 幼稚園のころ光GENJIが大ブームで、家にローラースケートがあったのを覚えています。あと小学校の3年生ぐらいだと思うんですけど、お遊戯でSMAPの「$10(テンダラーズ)」が選曲されていて、いい曲だなと思いました。

近田 俺にとってはついこないだの話だよ(笑)。

矢野 小学生のころは、同時代の流行音楽の中でいい音楽、みたいな感覚で聴いていました。

 中学校に入って洋楽を聴き始めると、日本の音楽からはちょっと離れたんですけど、10代後半になってレア・グルーヴやフリー・ソウルみたいなものにはまっていく中で再び出会ったんです。小沢健二とまったく同じで、子供のとき流行りものの中ではいい音楽と思って聴いていて、あとからより深いところで再会するという。

 それから昔のレコードを集め出して、歌謡曲も手あたり次第に聴いていく中で、郷ひろみとか少年隊とか、ジャニーズの音楽にはいいのが多いなとはぼんやりと思っていて。で、本格的に調べ始めて、網羅的に聴いて、今に至るという感じです。

 世代が嵐と同じなんですけど、例えば櫻井翔くんはヒップホップが好きだったりして、自分と同じような感覚を持ったままでアイドルになっている人がいるんだな、という親しみも感じていました。

2019.07.06(土)
構成=高岡洋詞
撮影=山元茂樹