美しい風景というのは一期一会であり、いくつかの自然現象がたまたま、そのとき、その瞬間に交錯することで生み出されるひとつの奇跡のようなものである。
風景を構成している各々の自然現象は常時、流れるように様相を変化させており、かつ一度変化すると元の状態には決して復元されないため、その風景が美しさを保つことができるのはわずかな時間にすぎない。
美しい風景。すなわち、それは一瞬の夢幻のようなものである。
夢幻境──。その言葉にぴったりな風景に一度だけ出くわしたことがある。
二〇一五年夏に私はグリーンランド北部の海岸を知人と二人でカヤックを漕いでいた。夏といえども北緯七十八度近辺の超極北地の海では、大量の浮き氷が不穏な感じで漂っている。浮き氷は北極の海を航行する際の最大の障害だ。
なぜなら風の動きや潮の流れがひとつかわるだけでゆらゆらと凝集し、それまで開いていた海面を隙間なく埋め尽くしてしまうかもしれないからである。運悪く浮き氷がわれわれのいる方向に寄り集まってきたら、嗚呼、もう、たまったものではない。カヤックは氷にはさまれて動けなくなり、海上でどこにも脱出できなくなり万事休す、となりかねないからである。
では、そんな危険な海に出かけなければいいではないかと思われるだろうが、そのときのわれわれには無理をしてでも出立しなければならない事情があった。というのも、われわれの旅程はすでに大幅に遅れていたからである。航行の途中で強烈な西風が吹きはじめ、沖に漂っていた浮き氷が海岸線に押し寄せ、びっしり張りついてしまい、前進が不可能となり、われわれは二週間ほど陸地に閉じ込められていたのだ。
このとき無理して浮き氷帯のなかを突き進んでいたのは、それまで隙間なく埋め尽くしていた氷がわずかに緩み、カヤックを滑りこませられるだけの間隔があいたからだった。わずかなチャンスを見逃さず、強行突破をはかろうとしていたのである。
風はなく、海は浮き氷が重しとなり、波ひとつなかった。白い濃霧が霊気のように辺りをつつみこみ、あの世に足を踏みいれてしまったかのごとく冷涼としている。頼むからこのまま氷が緩んだ状態が続いてくれ。そう祈るように私はパドルを動かしていた。
すると、それまで霊気のごとく茫洋と視界を遮っていた霧が開け、天から黄金色にかがやく太陽の光がさしこんだ。と同時に、このうえなく見事な虹がかかり、われわれの前方に希望を感じさせる巨大な架け橋を作りだしたのだ。海面上には薄もやのように霧が残り、それが風景を神秘的に演出する。
しかもそのタイミングでアッパリアスという水鳥の群れが背後からピーピーと甲高い声をあげながら飛んできた。それはまるで天からの平和の使者を思わせた。出発前はこの鳥をたも網で散々捕獲し、干し肉にしまくっていたことなどすっかり忘れていた。
信じられないほど幻想的な光景のなかに、パドルが水を滴らせる音が響いた。しかしこのうっとりする風景もわずかな時間で文字通り霧消した。神秘的だった霧が完全に晴れ、虹も消え、水鳥もどこかに飛び去った。目の前にひろがるのは浮き氷の墓場のような海だけ。現実の世界に引き戻されたのだった。
角幡唯介(かくはた ゆうすけ)
ノンフィクション作家、探検家。1976年、北海道芦別市生まれ。早稲田大学卒、同大探検部OB。2009年冬、単独でのツアンポー峡谷探検をまとめた『空白の五マイル』で開高健ノンフィクション賞、大宅壮一ノンフィクション賞などを受賞。16年12月からは太陽の昇らない暗闇の北極圏を80日にわたり一人で探検。その体験を綴った『極夜行』(文藝春秋)で、「Yahoo!ニュース | 本屋大賞 ノンフィクション本大賞」受賞。近著にエッセイ集『探検家、40歳の事情』(文藝春秋)、ノンフィクション『漂流』(新潮社)がある。
Column
角幡唯介さんは、開高健ノンフィクション賞、大宅壮一ノンフィクション賞などを受賞している気鋭のノンフィクション作家。これまでに訪れた世界の津々浦々で出会った印象的な人々との思い出を、エッセイとして綴ります。
文=角幡唯介
絵=下田昌克