暑い。まったく話にならないぐらいの暑さである。

 推定気温三十度。気温よりむしろ、天空から鉛直に降りそそぐ強烈な直射日光と、大気中の全領域に水の粒子が充満していることを実感させられる湿度の高さが、私を疲弊に追いやっていた。完全に蒸し風呂状態、汗は噴泉のごとくふきだし、肩にぶら下げた一眼レフカメラは塩でべたついている。

 つい先月、探検の偵察のため十七年ぶりにニューギニア島の山岳地帯を歩いたときのことである。

 たかだか五、六百メートルの登りであったが、前日からの激しい発汗と塩分不足で完全に脱水症状となり、私はふらふらだった。魔境という言葉が自然と思いうかぶ。これが二週間つづけば戦中、野垂れ死にした日本軍兵士と同じ境遇を経験できるかもしれない。やがて意識が朦朧としてきて現実との間に半透明の薄膜が生じ、ついには小休止をくりかえし、後ろからついてきた地元民のおじさんに「荷物を持ってやろうか?」と声をかけられる始末となった。登山をはじめて二十年、私は常に「荷物を持ってやろうか」と声をかける立場だったのに、それが逆転したわけだ。『悲しき熱帯』という本のタイトルが不意に思いだされた。

 そのときだった。村の中心部へつづく幅五十センチの泥道を、なにやら白くて清潔そうなTシャツを着た三人娘が、おほほ、うふふ、ほほほ……という高い笑い声をあげながら、羽でも生えたように手足を上下させて、ひらひらと舞い降りてきた。何が可笑しいのか、娘たちは、場ちがいな愛らしい笑いをやめようとしない。キャーキャーと嬌声をまじえ、おほほ、うふふ、と女学生めいた巧笑をあげつづけている。

 おほほ、うふふ、ほほほ。

 桃源郷? 天使? 私は目をうたがった。彼女らの雰囲気は周囲の風景とほぼ完璧になじんでいなかった。毛髪も土着のニューギニア高地人とちがって巻き毛ではなく、トリートメントで処理したかのようなきれいなストレートヘアーだし、テンションも適切な感じであるが高めを維持し、奇妙に浮わついている。遊離している。空気を読めていない。忖度できていない。

 これほど周囲の風景と断絶している人というのも、めったにお目にかかれるものではなかった。

「なんか都市部のギャルみたいなのが来たなぁ」

 そうひとりごちると、おじさんが言った。

「シスターが来たね」

 シスターか、そうか、なるほど。私は納得した。

 北極、アフリカ、アマゾン奥地。キリスト教は歴史的に辺境地に宣教師を送り、「未開」の「蛮族」を教化、啓蒙することにつとめてきた。ニューギニア島もその例にもれず、このシスターはその系譜をうけつぐひとりというわけである。

 シスターと二人の従者はひらひらと蝶のようにわれわれの前にやってきた。

「どこから来たの?  日本? わーお。これから一緒に私たちと食事をしない」

 神よ! 私はこの僻地の山奥で、キリスト教が世界宗教になった行動力をあらためて見せつけられた思いだった。そしてそれから二泊三日、白飯と唐辛子とインスタントラーメンの饗応をたっぷりうけることとなったのだった。

角幡唯介(かくはた ゆうすけ)

ノンフィクション作家、探検家。1976年、北海道芦別市生まれ。早稲田大学卒、同大探検部OB。2009年冬、単独でのツアンポー峡谷探検をまとめた『空白の五マイル』で開高健ノンフィクション賞、大宅壮一ノンフィクション賞などを受賞。16年12月からは太陽の昇らない暗闇の北極圏を80日にわたり一人で探検。その体験を綴った『極夜行』(文藝春秋)で、「Yahoo!ニュース | 本屋大賞 ノンフィクション本大賞」受賞。近著にエッセイ集『探検家、40歳の事情』(文藝春秋)、ノンフィクション『漂流』(新潮社)がある。

Column

角幡唯介の「あの時、あの場所で。」

角幡唯介さんは、開高健ノンフィクション賞、大宅壮一ノンフィクション賞などを受賞している気鋭のノンフィクション作家。これまでに訪れた世界の津々浦々で出会った印象的な人々との思い出を、エッセイとして綴ります。

文=角幡唯介
絵=下田昌克