尾形光琳に私淑して本格的に絵画の世界へ

「観世音図」妙顕寺蔵  Image:TNM Image Archives

 抱一が素人画家の域を脱して、本格的に絵画へ傾斜していくのは、寛政2年(1790)、よき理解者であった兄の急逝後のことだ。酒井家内の家督相続問題から身を引き、寛政9年(1797)に出家を果たすと、寛政年間の末年頃から、本格的に絵画を制作するようになっていく。中でも抱一が特に深い敬慕の念を抱き、私淑したのが、尾形光琳(1658~1716)だった。文化12年(1815)には、光琳の没後百年を記念して、光琳作品を集めた「展覧会」を開き、日本で初めての光琳画集『光琳百図』を刊行するなど、一大「光琳キャンペーン」を行うのである。

 こうした活動の中で触れる機会のあった、《波濤図屏風》(メトロポリタン美術館蔵)や、《風神雷神図屏風》(東京国立博物館蔵)などの光琳作品に触発され、引用・アレンジをしながら、抱一は自らの作品を構築していったのだ。

2014.10.29(水)
文=橋本麻里