そんなとき、また不思議なことが起こった。

 その日から私は、至って普通のジャンプ好きな小学生から、仏様が落ちてきた小学生になった。下級生にドッジボールでターゲットにされても、美術で描いた絵がクラスの中で私だけ貼りだされなくても、体操着が姉のお下がりのブルマで馬鹿にされても、とはいえ私のもとには仏様が来たしという優越感が支えてくれた。演技が下手な俳優でも、「私、顔だけは汗かかないんだ」とかそういう謎の支えみたいなものがあれば、自分にはなにかあると信じ続けられる、まさにそんな感じだった。

 仏様が落ちてきた話を人にすると、必ずと言っていいほど「で、どうなったの?」と聞かれるが、別にそれがどうにかなったわけではない。それを機に家がお金持ちになるということもなかったし、父のアドバイス通り仏様を撫でても仏様が大きくなることもなかった。ただ、小学生時代、何の取り柄もなかった私が、その仏様の存在に支えられていたことは確かである。

 そして大人になった私は嫌だった過疎から抜け出し、今は東京で暮らしている。大人になるとお金のことばかり考える。どうやったら稼げるようになるだろう、どうやったら時間を切り売りして働かなくてすむだろう。通帳を見ては溜息。溜息をついては通帳。私の息がかかり過ぎた通帳は二酸化炭素中毒で気を失いそうだった。

 そんなとき、また不思議なことが起こった。家の中のお金をかき集めようと、パンパンの小銭入れを開けたときである。だいたいが一円玉だったが、もしかしたらこの一円玉をかき集めれば一万円くらいになるかもしれないという一縷の希望を抱き、一円玉の数を数え始めた。すると、一円玉の中に、一つ違うものが交ざっている。それは、マリア様が彫られている銀色のメダルのようなものであった。あとで知ったのだがそれはキリスト教信者の人が身に付けるマリア様のメダイであった。なぜ私の小銭入れの中にマリア様のメダイが入り込んでいるのかまったく心当たりがない。おつりで店員さんが間違えて渡してきたのか? 貰うときに気づかないのか? おつりで間違えてメダイを渡すってどういう状況だ? 考えれば考えるほど謎である。私ははっとした。これはもしかして示唆ではなかろうか。私がお金のことばかり悩んでるから、無価値のようにみえる一円玉の中に聖母を交ぜてきて、「大切なものはお金じゃない」てきな、「大切なものはすでに持っている」てきな、ちょっと言葉で言うと薄っぺらくなるけど、そういうような示唆を天上界が与えてきてるんじゃないだろうか。

 私は、天上界からのメッセージに感謝し、マリア様のメダイを仏様を入れている宝物箱の中に一緒に入れた。その宝物箱を見ながら、死ぬまでにいろんな神様が集まればいいなと思った私は、結局欲ばかり増えているのである。

安藤奎(あんどう・けい)

1992年、大分県出身。2016年に劇団アンパサンドを旗揚げし、すべての作品で脚本・演出を担当。佐久間麻由プロデュース企画「爍綽と」の第1回公演「デンジャラス・ドア」、劇団アンパサンド「地上の骨」(第68回岸田國士戯曲賞最終候補作品)、GAG企画室「×魅力人」などが各方面で話題に。2024年3月より本多劇場で開催される「南海キャンディーズLIVE『南海キャンペーンズ』」にも作・演出で参加する。
X(旧Twitter)@kei_ando_

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編集部が注目している書き手による単発エッセイ連載です。

(タイトルイラスト=STOMACHACHE.)

2024.02.07(水)
文=安藤 奎