そして、大叔父が石と石とのバランスを取ることで保とうとしていることは、あの異世界の存続だけではなく、現実世界のたどる運命とも何らかの関わりがあるようにみえる。今にも崩れそうな石と石との間のバランスを、冷や汗を流しつつ懸命に保とうとする大叔父の姿は、ナショナリズムと戦争に毒された諸国間の微妙な均衡を保とうとする国際政治の暗喩のようにも見えるのだ。

 眞人と2度目に出会った時、大叔父は眞人に対して、はるかに遠い時と場所を旅して見つけてきたという13個の「悪意に染まっていない石」を差し出す。それら13個の石を積み上げることで悪意から自由な王国、豊かで平和な美しい世界を創造せよ、と。しかし、眞人は大叔父に対して、自らの傷を示しつつこう告げる。「この傷は自分でつけました。僕の悪意のしるしです。僕はその石には触れません。ナツコ母さんと自分の世界に戻ります」と。

 この世界に流星として降り注ぐ死者の魂の中には、確かに悪意に染まっていないものもあるだろう。しかし、その抜け殻である石を操る者が悪意に染まっていれば、石はほどなく悪意に犯されてしまう。「悪意から自由な王国」を創造するなど、所詮は空しい夢に過ぎないのだ――。

 このシーンは、アニメ版よりもはるかに広大で深い世界観を有する漫画版「風の谷のナウシカ」のクライマックスを想起させる。失われた文明が遺した巨大な人工知能「シュワの墓所の主」は、文明に汚染された環境を浄化して、おだやかで賢い新人類が自然と調和しつつ暮らす「豊かで平和な美しい世界」を作ることを目指していた。

「母さん!」「ナツコ母さん!」

 墓所の主は戦禍の地獄をくぐり抜けてきたナウシカらに「子等よ……力を貸しておくれ この光を消さないために……」と訴える。しかし、ナウシカは「否!!」「そなたが光なら光など要らぬ」と叫び、巨神兵の力を使って墓所を破壊してしまうのだ。「光と闇、清浄と汚濁の同居こそが生命の本質であり、光だけを求めようとする営為は、必ずや生命それ自体への冒瀆につながってしまう」というのがナウシカの洞察だった。

2023.10.10(火)
文=太田 啓之