1997年のインタビューで庵野秀明について《あいつは実は古典的な人間だと僕は思っているんですけどね(笑)。無理してるところがあると思ってるんです》と評した宮崎駿の言葉を、24年後の『エヴァンゲリオン』完結編は裏付けるように見えた(宮崎駿『風の帰る場所』ロッキング・オン、2002年)。

 同時に、碇シンジに通じる孤独を戦前の少年の中に描く『君たちはどう生きるか』は、古典的ヒューマニズムを描いてきた宮崎駿が現代的な少年の闇を隠し続けてきたことを告白するような作品にもなっていた。主題歌を担当した米津玄師は、宮崎駿から《これまで映画で見せてこなかった『今まで隠してきたもの、自分の中にある暗くドロドロした部分』をすべて描く》と告げられたという(「GQジャパン」8月29日)。その言葉の通り、完成したのはこれまで語られなかった母に対する複雑な情念に満ちた映画だった。

宮崎駿にとっての「母と戦争」

 ミケランジェロのピエタがキリストの亡骸を抱く聖母マリアの彫像であったように、『君たちはどう生きるか』もまた、母をめぐる物語だ。

《母親は敗戦時の変節を理由に、進歩的知識人を軽蔑し、『人間はしかたのないものなのだ』と不信と諦めを息子に吹き込んだ》と、宮崎駿は1988年6月刊の「世界」臨時増刊で回想している。宮崎家の兄弟たちにインタビューを行った大泉実成の著書『宮崎駿の原点:母と子の物語』によれば、その母と、戦後の価値観で育った宮崎駿は社会的な事件をめぐって激しく論争をすることもあったという。だがそのニヒリズムを抱えた母の姿は、宮崎駿が出会う戦後の理想主義と混ざり合い、原作版『風の谷のナウシカ』の複雑で深遠な結末へと繋がっていく。

 かつて押井守がアニメ版の『風の谷のナウシカ』について《特攻隊そのもの》と批判したように、宮崎駿の中には、美と倫理、戦前と戦後の価値観が激しく葛藤している(押井守『誰も語らなかったジブリを語ろう 増補版』講談社、2021年)。

2023.09.23(土)
文=CDB