親に人生を奪われる少年少女の小説が、多数書かれる昨今。しょせんお話だからと笑えないリアルがそこにはある。私たちには殺伐とした現実しか残されていないのだろうか。そう思っていた矢先、心が洗われるような小説が刊行された。それが津村記久子さんの『水車小屋のネネ』。帯に引かれた一文「誰かに親切にしなきゃ、人生は長く退屈なものですよ」の、そのままの世界。小さな善意を気負わずに誰かに手渡す連鎖が描かれ、ひとが当たり前に持ち合わせている“善良さ”を思い出させてくれる圧巻の長編だ。

 意外にも、津村さんにとって初めての日刊の新聞連載だったという。果たしてどんな気持ちで本作に取りかかったのか。インタビューはその質問から始まった。


「人生を丸ごと救ってくれる誰かが現れないように書きたかった」

「1年かけて原稿用紙700枚以上になる新聞連載というのは、私がこれまで書いた中でも最長で、不安はありました。そんな枚数をかけてまで書きたいことなんかあるかなと悩んで。せめてできるだけ自分が飽きない素材を入れていこうと、そこから考え始めました」

 まず浮かんだのが有益さゆえに大好きな水車、そして飼いたいと憧れているヨウム。

「ヨウムが活躍する物語は、もう10年くらい前から考えていたんです。老境に差しかかった鳥が人生で覚えたいろいろな言葉を喋るんですけれど、それを覚えたときにどんな出来事があったのかを解き明かしていくというものです。それに水車を組み合わせたらどうだろうと、水車番をするヨウムという設定を思いついたんですね。ならば、水車のためにはちょっと傾斜のある場所が必要だなと山間の舞台が浮かび、やはり鳥の思考だけでは小説として無理やから、理佐や律の姉妹など登場人物を考えていったという流れです。振り返ってみたら、自分が欲しいものを書いてるだけだったかもしれません。姉も欲しかったですし(笑)」

 実は連載開始前に一度脱稿。それを枠に合わせて調整しながら掲載を進めた。

「月曜日から土曜日まで毎日20字×50行を載せるんです。連載が実際に始まると、字数内に収まるように、場面を調整しないといけないですよね。その分割の作業がものすごくしんどくて。枠に収めるために切りのいいところでとなると、削ったり足したり。普通に書くのと同じぐらいか、それ以上に労力と頭を使いました」

それぞれができる範囲で無理のない加減で善意を手渡す

 物語の主人公は、理佐と律という姉妹。登場したときは、18歳と8歳だ。シングルマザーに育てられていたその姉妹が、娘より自分の恋人を選んだ母に見切りを付け、周囲の人々と助け合いながら自立していく40年を追う。理佐は職安で山間の町の蕎麦屋の求人を勧められ、就職を決める。ほとんど何も持たない姉妹がふたりで生きていくことを決める一九八一年から、二〇二一年のエピローグまで、10年区切りを一話として進んでいく。

「10年ごとの出来事に区切らないやり方もあったんでしょうが、やる気にならんかったんですよ。章を10年ごとに分けた長編のふりをしているだけで、実は中編を集めたとも言えます。10年ごとというのは、基本的に、水車小屋の番人が代替わりする年なんですね。要するに、10年経ったらどういう人が来るかを考えて、話をつなげていく書き方を選んだというか、こういう書き方しかできない気もしました。登場人物の水車小屋の番人になる人って、理佐と律、流れ着いてきた元ピアニストの聡、精神的な問題を抱える母親と暮らす研司で、全員「親や血縁の資源」をほとんど持っていない人なんです。そういう人物を出すときに、突然目の前に「人生を丸ごと救ってくれる誰かが現れない」ように書きたかったんですね。あるコミュニティに入ったら幸せになれたとか、誰々と出会ったからこんな風に人生が救われたというのは、どちらもものすごく読書を疎外すると思っていて。特別に有利な人間関係に感情移入して自分が特別になった気分になる読書もあるかもしれないのですが、私はそういうのにすぐイライラするので。「こんな人はいません!」って(笑)。作中では、姉妹が破綻しないように、蕎麦屋の守さん浪子さん夫妻や画家の杉子さん、律の担任の藤沢先生など、周囲はみな親切ですが、丸がかえしようとする人は現れない。それぞれができる範囲で無理のない加減で善意を手渡す。やりすぎないように、親切の分量にはかなり心を砕きました」

描きたかったのは「補い合うことで持続する関係性が生まれていく様子」

 実際、理佐や律は与えられるだけではない。理佐の求人情報にも付記されていた〈鳥の世話じゃっかん〉。これを姉妹が担っている。

「たとえば蕎麦屋さんのご夫婦とは仕事の利害関係がありますよね。お店も手伝っているし、鳥アレルギーの浪子さんの代わりにヨウムの〈ネネ〉のお世話もしています。助け合いなんですよね。考えてみれば、理佐は最初はすごく変わった女の子なんですよね18歳が8歳の妹を連れて独立しようという発想から考えると、鷹揚で楽天的なんだなと思います。こうと決めたらやり通す胆力はあるんだけれどあまり深く考えない。むしろ律の方が理性的で考え込むタイプで、もし律が姉だったらああいう生活に飛び込まなかったかもしれないなと。どちらにも風変わりなところがあるわけですが、いろいろな人と関わることで少しずつ普通の人になっていくんですね。個人的には、浪子さんとかが最後めっちゃ羨ましかったです。若い子にああやって囲まれていいなあみたいな。子ども時代の律にお昼を食べさせたりする杉子さんは子どもがいないし、何というか、持ってない人同士が何か交換し合ってるんですよね。そういう無理のない親切を受け取って成長した理佐や律だからこそ、今度は下の世代に同じように優しくできる。だってもし無理をしてでも人に優しくしろとか、親切にしろとかってなったら、たぶん歪んでくるんですよ。で、そういう人に出会ったら、特権が生まれて、特権関係にさらに依存関係ができて……。みたいな、そういう関係性がめちゃくちゃ嫌いなんですよ。それとは真逆の、補い合うことで持続的な関係みたいなのが生まれていく様子を書きたかったんだと思います」

「将来、人間みたいなヨウムを飼ってみたい!」

 そして、この物語の明るさとユーモアに大きく貢献しているのが、ネネの存在だ。ヨウムは、3歳児程度の知能を持つと言われている大型のインコ。この作品の中では英語の歌も歌うし、蕎麦の実を挽く石臼の加減を見るという人間顔負けの仕事もしている。津村さん、いつか飼いたいと願いながらなかなか叶わないそうだが、その代わりに小説で活躍してもらったのだろうか。

「一応飛べるので、渓谷で人探しするときに活躍する場面は作りましたが……。ネネが可愛いと言ってくださる読者もいてうれしいのですが、私自身はネネを可愛く見せたいと思って書いたことはあまりなかったんですね。何というか、その辺にいる自由なおじさん、やりたいようにしか生きないおじさんという感じに近いです。中立な存在ですね。書き終わった後に補強取材みたいな感じで、トリンさんという方に会いに行きました。その飼い主さん自身も『人間みたいです』とおっしゃっていました。書いてみて、ますます飼いたくなりました」

津村記久子

2005年「マンイーター」(のちに『君は永遠にそいつらより若い』に改題)で太宰治賞を受賞してデビュー。’08年『ミュージック・ブレス・ユー!!』で野間文芸新人賞、’09年「ポトスライムの舟」で芥川賞、’11年『ワーカーズ・ダイジェスト』で織田作之助賞、’13年「給水塔と亀」で川端康成文学賞、’16年『この世にたやすい仕事はない』で芸術選奨新人賞、’17年『浮遊霊ブラジル』で紫式部文学賞を受賞。

水車小屋のネネ

定価 1,980円(税込)
毎日新聞出版
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2023.04.06(木)
文=三浦天紗子
撮影=今井知佑