こんなふうに世界を見ることができたら、どんなに素敵だろうかーー。ニットデザイナーの三國万里子さんの初のエッセイ集『編めば編むほどわたしはわたしになっていった』を読めば、誰もがそんな憧れを抱かずにいられない。

 夫となる男性との出会い、新潟で過ごした少女時代、実妹・なかしましほさんや両親・親族とのエピソード、上京後の大学~アルバイト生活、ニットデザイナーとなるまでの紆余曲折、創作への想い、夫と息子との暮らし……。

 なんら特別ではない、ささやかな日常の愛おしいものたちをそっと取り出し、みずみずしい文章でユーモアたっぷりに紡ぎ出した三國さんのエッセイは、読み手の懐かしい記憶を掻き立て、未来を切り開く一歩をそっと後押ししてくれる。

 編み物から書き物へ、ジャンルの垣根を超えて広がり続ける三國ワールドを知れば、きっと見慣れた風景がきらきらと輝いて見えてくるはずだ。


「人と比べたりせず、自分の周りの小さい世界を楽しめている」

――以前から三國さんのニットデザインの著書や「Miknits」(ほぼ日サイト内にある三國さんの編みものキットの店)の文章を読んで、素敵だと思っていたのですが、こういった形でエッセイ集を出されるとは嬉しいおどろきでした。

 もう5年前ぐらいかな。ほぼ日の編集者の永田泰大さんという方が「三國さんなにか書けるんじゃない? 書くべきだ」と言ってきてくださって、ほえーって(笑)。永田さんは、私が私信として送ったメールの文章になにか感じるものがあったみたいで、その時点では、どこでどんなふうに発表するのかも宙ぶらりんのまま、とりあえず書き始めてみたのが始まりでした。

――そうなんですね。永田さんからは特にお題はなく?

 なかったですね。だから私自身、自分からなにが出てくるかわからないまま、永田さんと「Miknits」を一緒に始めた山川路子さんに宛てて、毎回こんなの書いたよってメールで送るということを続けていって……。3年前にはもうほとんど書き終えていたんですが、永田さんがどういう形で出すべきか温めてたみたいで(笑)。結果的に、新潮社の松本さん(本書の担当編集者)との出会いによって、とてもいい形で着地させていただけました。

――三國さん自身、書くことに対する迷いやプレッシャーはありませんでしたか?

 実は5年前ぐらいに、ある出版社の方が同じように声を掛けてくださったんですが、その時は迷いがあったのか、なぜかなにも書けなかったんです。それが今回は書き始めてみたら、スルスルスルーっと言葉が出てきた。やっぱり永田さんと山川さんは、ほぼ日でずっと一緒に仕事をしてきた仲間で、信頼関係があったから私も人見知りをしないで書けたのかなって。とにかく二人におもしろいと思ってもらえたらOKという気持ちで、気楽に書けたのがよかったんでしょうね。

――だからでしょうか。本書に収められた文章は、どれものびのびと自由でユーモアにあふれていて、それでいて凛とした気高さみたいなものも感じさせます。個人的に衝撃だったのが「ままごと」。毎年恒例の夫婦二人の花見について書いたもので、本当になにも起こらない、ともすれば退屈とも感じられる夫婦の情景をこんなふうに描けるなんて! とのけぞってしまいました。

 え、そうですかね。さっき花見してきたから書こうかなって、行ったその日に書いたもので、なにも特別なことは書いてないと思うんですけれど…。

――いや、なにも特別なことはないのが凄いなと。こういう「平穏な日常の尊さ」って、日常を打ち崩すような出来事が起こらない限り、なかなか気づけないものですが、『ままごと』は夫婦がただ毎年同じように桜を見て、たあいない会話を交わすだけなのに、二人が築き上げた世界が鮮やかに浮かび上がってきて、こんなふうに生きれたら…と羨ましくなります。

 どうなんでしょうね。私は自分というこの容れ物の中で生きているから、他人と比べてどうとかはわからないんですけど、もしかして多幸感みたいなものを人より見つけやすいのかも。前に教習所で「女性はあまり視野を広く持たない」と言われたことがあって、その発言自体はどうかと思うんですけど、多くの人が自分の周りを広く見まわしてレンズを調整しているのに対して、私はマクロレンズで一点だけをキュッと見てるのかもしれない。だから人と比べたりせず、自分の周りの小さい世界を楽しめてるのかなって。

――それはSNS社会の閉塞感とは真逆にある幸福という気がしますね。『ままごと』の中で、日用品を買い出してきた旦那さんが「こびとが買ってきた」というくだりも素晴らしい。三國さんのエッセイには、日常をファンタジーに変えてしまうお茶目な遊び心が、あちこちに散りばめられています。

 なんか、いろんな物事をおもしろくしてしまう癖みたいなのがあるのかも。自分がどんな現実を生きるかは、刻々と自分が選んでいくものだと思うんですよ。もちろん、人によって与えられた状況は違うけれど、日々ギスギスしないためには、たとえ家庭の中の会話でも、ちょっとしたクリエイションがあった方がいい。

 だから、旦那さんはもともとそんなことを言う人ではなかったんですけど、私が喜ぶと思って言ったのかも(笑)。息子は息子でなかなかおもしろいやつで、ひとりっ子だったこともあって、彼と私の間にも夫とはまた違う、母子で作ってしまったワールドがあるんですよ。もう23歳になるのに、よくないとは思うのよ! (笑)。でも、やっぱり今だに息子と私の共通した言葉遊びみたいな世界があって、そのちょっとしたやりとりが楽しいんですね。

2022.10.07(金)
文=井口啓子
写真=佐藤 亘、平松市聖