奄美の自然を描いた孤高の画家、田中一村

 海辺に繁茂するソテツやビロウ、アダン、島の生き物が密やかに生を謳歌する奄美の自然を大胆な構図と繊細な筆で描いた日本画家、田中一村。

 生涯無名の画家として69歳で孤独と清貧のなかに没するまで、晩年を奄美で制作に挑んだ。

 栃木に生まれ、幼少より卓越した画の才を発揮し、東京美術学校(現・東京藝術大学)に入学するも重なる家庭の不幸と経済的苦境で2カ月余りで退学。

 姉の献身的な支えを頼りに独学で画道を歩む。戦中戦後は千葉の農村で絵に打ち込み、画壇での活躍を試みるが、決別。1958年、50歳で単身奄美大島へ渡る。

 5年間大島紬の染色工として働き、3年制作に没頭した島での暮らしは、製作資金のためでもあり、悲願の本土での作品展の費用を作るためでもあった。

 早朝には島を巡り、鳥や花に言葉をかけていたという逸話は、深い孤独を偲ばせる。と同時に、この島こそが一村の画道をより高みへ導いたと感じずにはいられない。

 すべてをかけて挑んだ絹絵には、不足なき島の自然との出合いに歓喜する画家の命の煌めきが色褪せることなく息づいている。

Text=Chiyo Sagae
Photographs=Atsushi Hashimoto