【KEY WORD:シャルリー・エブド】

 フランスの風刺週刊紙「シャルリー・エブド」襲撃事件をめぐって、表現の自由とは何なのかという議論が巻き起こっています。表現の自由が侵されているという危機を訴える人もいれば、イスラムに対する同紙の侮蔑的な表現はあまりにも酷いのではという意見も。この問題をどう捉えれば良いのでしょうか。

 そもそも風刺とは何でしょうか。短く定義すれば、「相手に対抗するため、相手の愚かしさを嘲笑すること」。フランスで風刺がさかんになったのは、19世紀なかばとされています。ナポレオンが失脚し、王政復古していた時代ですね。ルイ・フィリップ王やカトリック教会をバカにしたイラストを載せた雑誌がたくさん刊行され、部数を伸ばしました。

 またイラスト以外では、20世紀のソ連時代にたくさん作られたアネクドート(小話)も風刺のひとつでしょう。こんな感じです。「(ソ連の最高指導者だった)『フルシチョフはバカ』と落書きした男が、逮捕された。容疑は国家機密漏洩罪」「独裁者がおしのびで映画館に入ってみたところ、自分を誉めたたえる映画に観客が総出で拍手をしている。隣に座っていた男が独裁者に言った。『あんたの気持ちはわかるけれど、刑務所に入れられたくなかったら拍手したほうがいいぞ』」

 日本でも戦争中、「贅沢は敵だ!」「足らぬ足らぬは工夫が足らぬ」といった国の標語ポスターに、何者かが文字を書き足したり消したりして「贅沢は素敵だ!」「足らぬ足らぬは夫が足らぬ」と風刺した、というような話もあります。

 だから風刺の歴史は、絶対的な権力に対する抵抗の歴史でもあるんですね。武装闘争で勝ち目はなく、かといって正面から論争を挑むこともできないような状況で、どう権力に対抗するか。そのために「斜め目線で馬鹿にする」という行為が生み出されたということなんです。

バランスを欠いた「風刺」?

 しかし今回の襲撃事件があったフランス社会では、北アフリカからの移民は差別され、貧困に陥り、社会的弱者となってしまっています。その彼らが信仰する宗教の指導者を嘲笑する風刺というのは、従来からの意味の「風刺」と言えるのか。シャルリー・エブドは一方で、キリスト教やユダヤ教に対しては明らかに節度が感じられる描きかたしかしていない、という指摘もあります。またフランスではそもそもホロコーストを否定したりナチスを礼賛する表現は規制されています。

 日本を含め欧州以外の地域では、これはバランスを欠いているのではないか、と感じる人が多いのは当然でしょう。中学校の教室で、いじめられっ子が強いいじめっ子になんとか対抗するため、いじめっ子を揶揄した絵を黒板に描いて風刺するということは「あり」でしょう。でも逆に、いじめっ子が、いじめられっ子を侮蔑した絵を黒板に描いて級友たちに見せたら、それは風刺でしょうか? それも表現の自由でしょうか?

 おまけに、歴史的に風刺というペンの武器が持ってきた「強い悪の権力 vs. か弱く正しい民衆」という構図は、21世紀の現代社会ではもはや幻想でしかありません。もちろん一部にはそういう構図も成立する場面はあるでしょうが、たいていの場合、どこに正義があるのかは明確にはわかりません。アメリカにはアメリカの正義があり、イスラムにはイスラムの大義がある。どれが「正しい」のかという議論は、そもそも成立しえません。

 フランスは、親の国籍がどうあれフランスで生まれればフランス国籍が持てるという出生地主義が採用されています。そのかわりにフランス共和国民となるのであれば、どんな宗教を持っていようとも公の場ではそれを出さず、フランス語を話し、共和国の理念を共有すべきである、という社会としての哲学を共有してきたとされています。今回の事件は、この「共和国の理念」が大きく揺らいでいることを浮き彫りにしています。

ヨーロッパの多文化主義の崩壊

 ヨーロッパは近代になって、「ひとつの民族がひとつの国家」という国民国家の概念をつくり出しました。しかしこの概念ではどうしても国内に少数民族という弱者を生みだしてしまい、主流の民族が少数民族とどう折り合いをつけるのかという深刻な衝突が起きてしまいます。そこでヨーロッパは1970年代に入ると、多文化主義(マルチカルチュラリズム)という考え方を打ち出すようになりました。異なる文化を持つさまざまな集団が、ひとつの国の中で対等に扱われるという考え方です。しかし多文化主義はいまやヨーロッパでは移民排斥の高まりなどとともに、崩壊に瀕しています。

 これは単なる多文化主義の崩壊というだけでなく、ヨーロッパが作ってきた近代の理念が普遍性を持たなくなってきているということなのだと私は考えています。

 中東には汎アラブ主義があり、ヨーロッパの引いた領域国家の国境を否定しようという動きが20世紀の初めから起きています。残虐非道なテロや日本人の誘拐を行っているイスラム国はまったく肯定されるものではありませんが、この組織が建国を宣言した直後に行ったのは、イラクとシリアの間にフランスとイギリスが勝手に国境線を引いた「サイクス・ピコ協定」を否定することでした。

 近代のあいだ、ヨーロッパの国民国家と民主主義の理念によってこのような動きは否定されてきました。しかし21世紀に入りグローバリゼーションが進む中で、ヨーロッパの理念は激しく揺らぎ、崩壊しつつあります。その先端の部分で起きたのが、今回のシャルリー・エブド襲撃事件であったと言えるでしょう。

佐々木俊尚(ささき としなお)
1961年兵庫県生まれ。毎日新聞社、アスキーを経て、フリージャーナリストとして活躍。公式サイトでメールマガジン配信中。著書に『レイヤー化する世界』(NHK出版新書)、『キュレーションの時代』(ちくま新書)、『家めしこそ、最高のごちそうである。』(マガジンハウス)、『自分でつくるセーフティネット』(大和書房)など。
公式サイト http://www.pressa.jp/

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2015.01.30(金)
文=佐々木俊尚