美術でさえ敷居が高いのに、書となると「習字」「書き初め」がトラウマになっているのか、「勘弁して下さい」とばかりに後ずさりし始める方が多い(ような気がする)。とはいえ、PCのキーボード入力、スマートフォンのフリック入力など、自分の手に筆記具を持って文字を書く機会こそ減ったけれど、文字は毎日のように書き、読んでいる大切な「道具」なのだから、もうちょっと関心を向けてみてもいいのではないだろうか。

蘭亭図巻-万暦本- 王羲之等筆 明時代・万暦20年(1592)編 東京国立博物館蔵
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 さて、シロート知識によれば、書の最高峰は中国の王羲之、ということになっている。何しろ「書聖」である。やれ三蹟だ三筆だと言っても、やはり書に関して「本場中国」の威光は未だ衰えていないらしい。だがしかし、シロート目に王羲之の文字がそれほど素晴らしいようには、なかなか見えないのである。

妹至帖 原跡:王羲之筆 唐時代・7~8世紀摸 個人蔵
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展示期間:2月13日(水)~3月3日(日)
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 ここで違いのわかる男(もしくは女)になるためには、まず我々が「王羲之以後」の文字の世界に生きていることを自覚しなければならない。王羲之は「世界で一番文字を書くのが上手い人」ではなく、「それまでと、文字のあり方を変革してしまった人」で(さらにその王羲之の文字を変えてしまう変革を経て現代へ至る)、我々はその、文字が変わってしまった後の世界を当たり前として生きてきたから、王羲之の書いた文字をことさら「普通じゃない文字」とは認識できないのだ。

楽毅論(越州石氏本) 王羲之筆 原跡:東晋時代・永和4年(348) 東京国立博物館蔵
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定武蘭亭序-許彦先本- 王羲之筆 原跡:東晋時代・永和9年(353) 東京国立博物館蔵
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 漢字の始まりは約3000年前、殷時代に発明された甲骨文字まで遡る。それは人間が情報を記録するための道具ではなく、地上の王が天と対話するための神聖な存在だった。ところが次の王朝・周は、言葉の異なる民族でも見れば互いに意志を通じさせることができる「表意文字」として漢字を利用、これが瞬く間に各地へ広がっていくことになる。

 文字を、神意を占うための骨や角、甲羅に彫り、あるいは祭器である青銅器に彫ったり鋳込んだりしていた時代、それら「メディア」は地中へ埋められ、人目に触れることはなかった。ところが初めての統一王朝を実現した秦は篆書体を創出、これを石に刻み、王権の意志を伝えるため、衆目に晒したのだ。こうして神に向かい合う文字は、政治の文字へと変わっていく。

<次のページ> 文字の「革命」を象徴する存在が王羲之

2013.01.12(土)

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