女の子のすこやかな成長を願う「ひな祭り」。およそ1,000年も続く日本の節句行事です。お姫様とお殿様が並ぶほほえましい雛人形は、春の訪れも感じさせてくれます。

 そんなひな祭りに革命を起こした、ひとりの女性人形工芸士がいました。彼女が手がける雛人形は、これまでの印象とはずいぶんと違い、それゆえ賛否両論を巻き起こしたのです。

 若くして故人となった工芸士は、どんな想いで斬新な雛人形づくりに挑んだのでしょう。それを知りたくて、彼女が星へと旅立った地、岐阜へ向かいました。


SNSで話題となった
1年後に急逝

 この雛人形をご覧になったことはありませんか?

 これは岐阜県の節句人形工芸士、後藤由香子さんが2016年に発表した、黒とグレーが織りなす雛人形。名前は「Gothic(ゴシック)」。

 その名の通り、日本の伝統工芸に現代の「ゴシック&ロリータ」の装いを採り入れた作品。

 花をあしらったヘッドピースやデリケートなレース地、壁に掲げられたファッションアイテムの数々は、どれも旧来の雛人形のイメージをくつがえすヴィジュアルです。

 大胆にして繊細なこの「Gothic」の登場に、多くの人が驚き、Twitterでは5万を超える爆発的な数のリツイートを記録しました。

 さらに話題となったのが、同時期に発表された「森のウエディング」。

 お姫様が手のひらに乗せているのは小鳥。お殿様が手にするのは指輪。檜扇(ひおうぎ)や笏(しゃく)といった定型のお道具は存在しません。

 ここに表されているのは、ふたりの心に通いあう、やさしくゆったりとした情愛なのです。

 正面を向くのではなく、お殿様がお姫様を見つめるディスプレイ。

 コサージュ、ブローチ、ネックレス、リング、バレッタ、イヤリングなどなど近現代のアクセサリー。

 後藤由香子さんがほどこしたおよそ300種類の雛人形は、平安時代から1,000年以上続く工芸界に革命を起こしたと言っても大げさではありません。

 しかし……「Gothic」「森のウエディング」など新鮮な驚きに満ちた雛人形でその名を全国に轟かせ、作家として今まさにこれからという時期だった翌年の2017年9月13日、由香子さんは卵巣ガンのため、お亡くなりになりました。享年49歳という若さでした。

 節句人形の製造卸問屋「後藤人形」の専務であり、夫の後藤通昭さん(50)は、往時をこう振り返ります。

「由香子ちゃんは大きな仕事を終えたのちに倒れ、病名の告知からわずか2カ月後に自宅で急逝しました。それまで前兆すらなかったんです。

 あまりにもあっという間の出来事で、 家族やスタッフはしばらく動揺を隠せずにいました。

 彼女は亡くなる前に、かぐや姫を制作していたんです。クライアントにかぐや姫を納め終えたあとだったので、本当に月に帰ってしまったかのようでした」

 まるで自らの命を分け与えるかのように雛人形づくりに精魂を込めた後藤由香子さん。

 今日は夫である通昭さんにお話をうかがいながら、稀代の人形工芸士の足跡の物語をひもといてみましょう。

2019.02.27(水)
文=吉村智樹
撮影=後藤通昭