かつて文豪が暮らした旧宅には愛犬たちの墓も

コヒマルに向かう途中、目にする田舎町の風景。

 ヨーロッパやカナダからの観光客で賑わうハバナも、郊外に出たとたん、素朴な雰囲気に変わる。途中、故障して立ち往生する車に出会うこと3回。ときどき見かける立派な建物は病院だ。医療と教育を大切にしているキューバでは、市民の医療費は無料なのだそう。簡素な集合住宅が立ち並ぶエリアを抜けて、海の香りがしてきたら、まもなくコヒマルだ。

道端に飾られた巨大ポスターには、キューバ革命の指導者フィデル・カストロと、その弟のラウル・カストロ議長が。

 ヘミングウェイがたびたび訪ねていたのが、レストラン「ラ・テラサ」。釣りの後、ここでトマト風味のシーフード煮込みを頼むのが楽しみだったという。彼がいつも座っていたという、コヒマル湾を一望するテーブルは、今でもヘミングウェイの「特別席」。壁には、有名な釣りの大会「ヘミングウェイ・カップ」で、賞を手に喜ぶカストロ議長とヘミングウェイのツーショット写真も飾られている。

ヘミングウェイがいつも座っていた席からは、穏やかな湾を一望できる。
レストラン「ラ・テラサ」のテーブルから一望するコヒマル湾。

 コヒマルには、ヘミングウェイが暮らしていた家もある。フィンカ・ビヒア邸と呼ばれていた自宅は、今はヘミングウェイ博物館に。1万冊近い蔵書のある書斎や執筆をした机、愛犬たちの墓のほか、裏庭には愛艇「ピラール号」も展示されている。お掃除のお姉さんがチップをねだるのはご愛嬌。外国人観光客が訪れる場所では、こんなこともある。

裏庭にあるピラール号。ヘミングウェイはキューバ革命を支持し、船内に革命運動のための武器弾薬を隠しておくことも黙認していたのだとか。

 地元の人たちから「パパ」の愛称で親しまれていたヘミングウェイ。コヒマルには彼の胸像が立っているが、これはヘミングウェイが自殺した後、地元の漁師たちが船のスクリューなど材料を出し合って、彫刻家に作ってもらったものなのだそう。

ヘミングウェイの歴代の奥さん4人のお墓? と思いきや、これは愛犬のお墓。

 ちなみに、『老人と海』は、この村に暮らしていた漁師のグレゴリオ・フエンテスさんをモデルにした小説。グレゴリオさんは2002年に104歳で亡くなるまで、ここコヒマルに暮らしていた。

2015.05.19(火)
文・撮影=芹澤和美