名プロデューサーに見初められ、台湾へ

――その後の大きな転機といえるのは、25歳のとき、俳優デビュー作となった『八月的故事』(2005年・第19回東京国際映画祭にて上演)への出演でしょうか?

 香港でいちばん初めに出演させてもらった映画ですからね。それまではモデルとして現地アーティストのPVに出演させてもらっていたり、生活をするため、ほかにも、グラフィックデザインの仕事などもやっていたんです。『I am ICHIHASHI ~逮捕されるまで~』でも監督補として参加してくれたヤンヤン・マク監督と出会い、人生が大きく変わりました。

――その後、活動拠点を台湾へ移されますが、その理由は何だったのでしょうか?

 香港で2本の映画に出演し、モデルの仕事も順調だったこともあって、そのまま住むことも考えていたのですが、台湾からTVドラマのオファーがいくつか来たんです。連続ドラマはやったこともなかったですし、それも「流星花園~花より男子~」のプロデューサーであるアンジー・チャイからのオファー。それで広東語だけでなく、北京語を突き詰めていくのも面白いかもしれないと。8年前に台湾ベースの活動に切り替えることを決めました。

――8年前だと、台湾は映画界よりもTVドラマ界の方が活気があった時期ですよね。映画界を中心にエンタテイメントが成り立っている香港とは、違う状況に戸惑われたのではないでしょうか?

 香港ではウォン・カーウァイ監督の助監督をやっていたマク監督だったり、アートや映像作品をやってきている人と一緒に仕事をしてきました。だから、視聴率を見ながら、その後の脚本を変えていくという台湾のドラマ制作に、最初はとても違和感を持ちました。今となってはビジネス的な観点からいえばある意味、理論的とは思うんですが、作品性という点ではどこか辻褄が合わなくなるのは当然……。

<次のページ> 俳優として、監督して悩み続けた最新作

2013.11.08(金)
text:Hibiki Kurei
photographs:Atsushi Hashimoto
beauty direction:Isao Tsuge
styling:Makoto Washizu