秘境の里山にひっそりと受け継がれる陰陽道

 海の文化が色濃い三方五湖。その南には雄大な丹波山地が広がり、こちらでは里山の文化が今に受け継がれています。

 なかでも京都との県境が近い、おおい町の名田庄 (なたしょう) は、日本の原風景が残っている、若狭地域の最奥部。鯖街道の集落のひとつで、秘境感を濃厚に醸し出しています。

 そして、この場所は知る人ぞ知る、陰陽師・安倍晴明ゆかりの地。土御門 (つちみかど) 家の墓所も長く守り継がれてきました。

 平安時代より京都との交流も深かったという名田庄。陰陽師・土御門家 (本姓安倍家) との縁も深かかったことから、応仁の乱により都が戦火に包まれた際には、土御門家はこの地に疎開。3代約120年にわたり、名田庄で陰陽道を率いたといいます。

 かつて陰陽師がその制作を担った暦。その興味深い歴史を学べる「暦会館」から徒歩10分ほどのところには、土御門家ゆかりの加茂神社が鎮座し、その先には、土御門家墓所が。

 安倍晴明の子孫であり、名田庄で陰陽道を司った安倍有宣、有春、有修の魂がここに眠ります。

 さらに、その近くには、「天社土御門神道 天社宮」が。ここは、都の戦乱を逃れた土御門家が住まったといわれる場所。陰陽道 四神を象徴する4色の鳥居に囲まれた天壇をはじめ、神秘的な独特の空気をまとったパワースポットです。

 古代より政治に強い影響力をもち、暦を司ることで人々の暮らしにも密接に関わってきた陰陽道。その奥深い物語がこの秘境の里山で紡がれ、今に受け継がれていることに、誰もが感銘を受けることでしょう。

2022.11.28(月)
文=矢野詔次郎
写真=上田順子