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 島本理生の恋愛小説を映画化した『よだかの片想い』で、ヒロイン・アイコが次第に惹かれていく映画監督・飛坂を演じた中島 歩。モデルから俳優に転身し、今や濱口竜介監督作や今泉力哉監督作などでの、一筋縄ではいかないイケメン役で強烈なインパクトを残す個性派俳優の魅力に迫る。

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●大学時代は落研に所属したほどのお笑い好き

――中島さんは「武蔵野」などで知られる作家・国木田独歩の玄孫ということですが、その事実は、いつ頃知りましたか?

 小学生のときに、親から先祖にそういう人がいるという話を聞いたのですが、僕の中では特にピンとこなかったですね。その後も彼の本を読んで育ったわけではないですが、知らず知らずのうちに大学(日本大学藝術学部文芸学科)で、中学と高校の国語の教員免許を取っていました(笑)。とにかく学校が好きだったこともあり、小学生の頃から将来は教師になるつもりでした。

――ちなみに、高校時代には漫才やコントをやっていたほか、バンドを組んでギターとボーカルを担当されていたそうですね。

 中学まではサッカー部、高校ではバレーボール部に所属していましたが、爆笑問題さんのラジオが好きだったり、お笑い芸人さんが好きだったこともありますが、普段から誰かに笑ってほしいという気持ちが強かったんですね。それで自分で漫才やコントの台本を書いてやっていました。バンドはJポップには興味がなくて、当時人気だったオアシスやグリーン・デイをコピーしていました。これでも文化祭などに出ていましたね。その後、大学ではなぜか落語研究会に入ることになり、大家主水(だいやもんど)の芸名で活動していました(笑)。

●教員免許を取得しつつ役者の道へ

――そして、大学在学中に、役者を目指す足掛かりとしてモデルを始められますが、どのタイミングで役者の道に進もうと思われたのですか?

 周りにミュージシャンや俳優をやっている人や、映画や演劇を勉強している人たちが多かったので、どんどん感化されていったことが大きいです。それで、自分の人生も特別なものにしたいという気持ちが強まったのですが、いきなりお芝居はできないわけで。

 そこで大学2年のときにネットで調べたモデル事務所に、自分から履歴書を持っていきました。それまで生きてきた中で、いちばん思い切った行動だったと思いますが、あれがなければ今の自分がないわけで、勇気を出して良かったと本当に思いますね。

――モデル活動においての苦労はありましたか?

 現場に行くことによって勉強していく感じでしたが、やっぱり思うようにはいかず、厳しい世界であることを知らされました。その間、演技レッスンにも通って、アメリカのアクターズ・スタジオのメソッドを学んだりもしたんですが、「これをやっているだけでは笑いを取れないんじゃないか?」と思っていましたね。それで大学を卒業してからは、今は劇団「贅沢貧乏」を主宰している友人の山田由梨の紹介もあって、いくつか小劇場の舞台に立つようになりました。

2022.09.16(金)
文=くれい響
写真=平松市聖