●自身の半生を描いているともいえる主演最新作

――それで、カンヌ映画祭での受賞経験もあるフィリピン映画界の名匠、ブリランテ・メンドーサ監督に声をかけられるわけですね?

 以前から親交のあったシンガポールのエリック・クー監督の紹介もあり、18年の釜山国際映画祭で、メンドーサ監督に声をかけさせてもらいました。その後、何度もアプローチしたことで僕たちの熱意が認められ、彼が監督を務めることになりました。ただ、メンドーサ監督の作品はしっかりした台本がないことが有名で、撮影直前に簡単なセリフが書かれたメモが渡されるだけ。そのため、僕がアメリカで学んだ台本を元にした演技メソッドが使えないんです。ただ、僕が演じる尚生というキャラクターについては、撮影前にメンドーサ監督とディスカッションしたり、現地のボクサーと交流することで作り上げていきました。また、ボビー中西さんにもいろいろ相談もしました。

●ターニングポイントとなった本作

――企画から始まり、さまざまな経験をしたという意味でも、本作は尚玄さんにとって、大きな転機となった作品といえますか?

 ターニングポイントですね。ボクシングに関しては1年以上かけて学びましたし、メンドーサ監督とは何度もお互いの信頼関係を深めるディスカッションもしましたし、スケジュールがタイトな日本映画の現場ではできない期間を過ごさせてもらいました。正直、この数年「自分は俳優として求められているのか?」と不安になることもありましたが、どこかで『義足のボクサー GENSAN PUNCH』の企画があったからこそ、頑張ることができたと思うんです。土山直純くんの半生を描いた映画ですが、僕自身の半生を描いているような気がしますし、芝居することの根本に立ち返ることもできました。長い道のりではありましたが、この作品を経たことで、次の一歩が踏み出せた気がします。

――今後、海外での活動も増えていくと思いますが、展望や目標について教えてください。

 すでに海外の監督と何本か作品を撮っていますし、その中には『義足のボクサー GENSAN PUNCH』のように企画・プロデュースしている作品もあります。そういったことは、通常の仕事と並行しながら、今後も続けていきたいです。いろんな国を旅してきた自分の人生と、いい意味でシンクロしてきたようにも感じますが、ゆくゆくは海外で映画を撮りたい日本人監督の懸け橋になっていきたいと思います。

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尚玄(しょうげん)

1978年6月20日生まれ。沖縄県出身。18歳からモデルとして活動した後、2005年『ハブと拳骨』で俳優デビュー。数多くの映画やドラマに出演する一方、渡米してアクターズ・スタジオにて、演技メソッドを学ぶ。海外作品にも多数出演。

『義足のボクサー GENSAN PUNCH』

幼少期に右膝から下を失い、義足であることで、日本のプロライセンスが取得できない津山尚生(尚玄)。夢をあきらめきれない彼は、義足でも3戦全勝すればプロライセンスを取得できるフィリピンに渡ることを決意。トレーナーのルディ(ロニー・ラザロ)とともに、夢への第一歩を踏み出す。

https://gisokuboxer.ayapro.ne.jp/
© 2022「義足のボクサー GENSAN PUNCH」製作委員会
2022年6月10日(金)より全国公開

Column

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2022.06.10(金)
文=くれい響
撮影=平松市聖