「苦悶する美青年」は商売上手な芸術家の発明?

 一番初めに、こうした「苦悶する美青年としての聖セバスチャン」という解釈をした画家(あるいは妄想過多の発注者)はエラいとしか言いようがないが、一点、作品ができてみれば、他のパトロンたちも「いーね~。あんな感じで」と注文するようになり、画家たちは競って美青年の聖セバスチャンを描くようになったのだろう。

ヴェネツィアのサンティ・ジョヴァンニ・エ・パオロ教会(通称サン・ザニポロ) のためにベッリーニが描いた聖セバスチャン。若い美しい、ほぼ完成形が見てとれる。1465年前後

 才能のある芸術家というのはだいたい商売上手なので、富裕な商人で、女好きの注文主が相手なら、「当然、裸の女性がいいですよね。だったら誕生して間もないアフロディテ、あるいは、身づくろいする女性として美の女神を描くのもいいですね、奥様やお嬢様には“美の女神を崇拝して何が悪い”ということで、言い訳も問題なしでしょう?」といった具合。一方、女の裸など敷地内に掲げることを許されなかった聖職者たちはというと、「殉教する聖人の崇高な魂を描きましょう。なるべく美しい、若い男性をモデルにして」という話になる。

 当時絵を発注できる人の数はそう多くはなく、いわゆる王侯貴族、教会、それに富裕な商人ぐらいのもので、当然のことながら、教会の祭壇画のように公共空間に置かれる作品を除けば、絵画は彼らの住まいや仕事の場である壮麗な建築物の中に展示されるのが常だった。

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2013.06.15(土)