2020年4月7日、初めての緊急事態宣言が東京、神奈川、埼玉、千葉、大阪、兵庫、福岡の7都府県を対象に発令された。それから1年が過ぎた4月26日、3回目の緊急事態宣言が発令され、今もなお私たちはコロナと向き合わざるを得ない生活を過ごしている。

 “コロナ禍”は飲食店については言うまでもなく、映画、音楽、舞台など、これまで私たちの生活を支えてくれた“文化”にも大きな影響を与えた。笑ったり、泣いたり、ほっとしたり。そんな当たり前の幸せを生活に与えてくれた“文化”の担い手たちはコロナ禍にどうしていたのか。

 寄席という仕事の大きな柱が自粛を要請される中、二ツ目として活躍する落語家・林家つる子さん。自問自答しながら新しい“文化”の形を求め続けた彼女にその“答え”を聞いた。


携帯電話が鳴ることが恐怖だった

――この1年で何が一番変わったと感じますか?

 一言でいうと、寄席、落語会が出来なくなってしまった、これまでの仕事がぽかっとなくなったことに尽きますね。それまではなんだかんだで毎日人前で落語を演る機会があるのが当たり前の生活だったので。

 当時のことは今でもはっきり覚えてます。2020年3月はもう携帯電話が鳴ることが恐怖で。この頃になると落語会なんかはそれこそ毎日中止になり始めていて。電話がかかってくる、それすなわちキャンセルだったんです。見通しも立たないので、半年先、1年先の仕事も軒並みキャンセル。手帳って本来予定を書き込むはずのものですよね。それなのに、その時期は×印ばかりを書き込んでいて。ただ悲しかったです。

 開催できたとしても、お客さんは全然いらっしゃらない。緊急事態宣言が発令される前の最後の高座は3月30日の浅草演芸ホールの寄席だったのですが、お客様が3人とかそのぐらいで。来るときが来てしまったんだな、と愕然としましたね。

落語家として何かを配信しなくちゃ

――公益社団法人日本芸能実演家団体評議会の調査発表では、上方落語家の話ではありますが、およそ7割の落語家が昨年の4月は無収入であったという報告もありました。

 私自身も、そうでした。2020年の4月、5月というのは完全にゼロ。寄席も高座も無ければ仕事も無くて。きれいさっぱり。仲間も同じ状況でしたね。3月末ぐらいから覚悟はできていたというか、現実と向き合うしかないわけですよ。とはいえ最初の頃は辛かったですね。

 2020年は入門してから10周年ということもあって、いろいろと企画を考えていたのですが、全部ストップになってしまいました。自分のこともそうなんですが、真打昇進とか二ツ目昇進が重なってしまった先輩方や仲間たちを見るのも辛かったです。本当ならお披露目公演とかで全国を回ったりしていたはずなのに高座そのものが出来なくなってしまっているんですから。

 入門する時に安定した職業じゃないからね、と言われていて、自分でもわかっているつもりだったんですが、本当に落語家という仕事は水物なんだな、と改めて気づかされましたね。

――落語家を続けていけるのか、と考えた?

 それは無かったです。前だけはしっかりと見るようにしていたというか。

 コロナ禍という状況で、世間全体が不安になったり、暗くなっているのを見たし、自分自身もショックは受けましたけど、やっぱり私は落語家なんですね。皆さんに笑いを届けたりとか、嫌なことを忘れてリフレッシュしてもらわないとダメなんじゃないかって。今この状況で、落語家として何が出来るんだろう、とにかく何かを発信しなくちゃいけないと考えていました。

 実際、仲間の中でも、アクションが早い人たちは4月頭ぐらいから動きだしていました。二ツ目の若いエネルギーというか、その世代が中心になって、YouTubeとかSNSとかコロナ禍でもできる“落語のカタチ”を積極的に模索していこうという潮流が出来ていったと思います。

――つる子さんもご自身のYouTubeチャンネルを持っていますが、今では多くの落語家さんが、いわゆる師匠と呼ばれる方々もチャンネルを開設するようになりました。

 師匠方のチャンネルのラインナップを見るとこんな方までって驚きますよね(笑)。

 コロナ禍の前って、落語は生で見るものだからYouTubeなんかで出すものじゃない、という声が大きかったですから。私自身も興味はあったし、若い世代に向けてはそういう発信もした方がいいかもと思うぐらいで行動には移すことはなかったです。

 それが、コロナ禍になって「もうこうなったらいいだろう」というかNGが緩やかになくなったということはありましたね。そういう意味では落語界にとってもポジティブな変化もあったと言えるかもしれません。今では半分ぐらいの噺家が配信とかSNSとかをやっているんじゃないですかね。

コロナ禍であるかそうでないかに関わらずポジティブに変化を求める

――配信を始めたことで収入は戻って来た?

 多少は、ですね。それでも以前と同じ、という水準に戻ることはないですね。はじめはお客様も面白がってくれるし、試しに配信で落語を見てみよう、ということもあったりしたと思いますが、その辺りはかなり落ち着いてきました。先ほどの話にもありましたが、師匠方も配信を始めたり、落語のチャンネル自体も増えてきていますからね。

 でも、もしこれから年月を経て、以前のように高座が出来るようになったとしても私はYouTubeやSNSは続けていこうと思っています。地方のお客様とか、なかなかリアルでは落語を見る機会がなかったお客様も配信では見れたり、配信には配信のいいところがあるんです。落語を楽しみにしてくれているお客様がいる。こんなうれしいことってないですから。

 それに、思わぬ影響や広がりもありました。YouTubeではいろいろな新しい試みをやってみたんですが、その中で氣志團さんのワンナイトカーニバルを芝浜という落語の演目で替え歌にしたことがありました。それをご本人が見てくださって、リツイートしてくださったり。あとはやっぱり、若いお客さんからの反応ですね。大好きな「鬼滅の刃」の話をしてみたら若い方から「面白そうだから見てみたら落語家さんだったんですね」とメッセージが来たり。コロナ禍じゃなかったらこういうつながりって果たして生まれていたのかな、って思いますよね。

 私たちの世代は間口を広げていける人は広げていった方がいいと思うんです。もちろん、そのためには古典落語をしっかりと演るとか、やるべきことはしっかりできていないとダメだとは思いますけど。チャレンジしてみることで、コロナ禍であろうとポジティブに変化していくことはあるんだな、と実感しましたね。

 最近だと、噺家同士で台本無しの即興のドラマ制作にチャレンジしてみたり。これが広がってハリウッド進出! なんてことはないでしょうけど(笑)。

2021.04.28(水)
文=CREA編集部
写真=今井知佑