「川嶋家にはテレビがない」といった私生活も大きく紹介され、川嶋教授の、どことなく浮世離れした雰囲気や喋り方に至るまで、ありとあらゆる話が俎上にのぼった。テレビは朝から晩まで、「紀子さん一家」を連日取り上げ、それはまさに狂騒、といっていい騒ぎであった。

 大学院に通う紀子は、当時、まだ22歳。それまで、カメラの放列の前に立つことなどなく、そう衆目に晒される経験もなかったはずだ。しかし、紀子は少しも動じず、いつもマスコミに微笑んで応じた。

 その後、礼宮と並んで公式の記者会見に臨む日を迎えたが、当日の紀子は黒に近い、濃紺のワンピースを着ていた。それは天皇が亡くなり、まだ喪中であることを意識しての選択であったのだろう。通常ならば美智子妃が白色、雅子妃がレモンイエローのワンピースで臨んだように、若い女性の婚約という寿ぎに相応しい、明るい色目の服を選ぶはずである。一見、喪服にも見える姿に接し、これは皇室にとって、たいへん大きな節目になるのではないかと改めて感じたことを今、思い出す。

 

増していく存在感

 礼宮と並んでの婚約記者発表は幸福感に包まれたものだった。たどたどしく言葉につかえながらも、語尾に「ございます」とつけて、「紀子さまスマイル」を見せる。ときどき、助けを求めるように隣にいる礼宮のことを見上げる。「お子さんは」と聞かれてはにかむ。その愛くるしい仕草の全てに、世間は一層熱狂した。嫁ぐことの喜びにあふれた若い女性の姿は、人々に幸福感を分け与えた。

 振りかえれば、あれはまさにバブル景気の最中、一億総中流と言われた豊かさの中に、日本中が沸騰していた時代であった。だが、あれから時代は大きく変わり、私たちを取り巻く在り様は、当時とはまるで異なっている。皇室にもこの間、さまざまな変化があった。紀子妃に続いて皇太子妃も誕生した。だが、やがてご病気になられた。現在も、ご療養中であり、完治には至っておられない。

2021.04.23(金)
文=石井 妙子