今次コロナ禍では緊急事態宣言が1都6府県に発令され、いよいよ欧米に準じる感染の爆発的拡大が喫緊の問題となってきた。焦眉の関心事は「このコロナ禍はいつ終わるのか」ということである。

5億人感染のスペイン風邪は「絶好の教科書」

 当初「夏になれば自然に終わるのでは」という楽観論があったが、低緯度地帯(マレーシア・ブラジル・インドネシア等)でも感染者が激増している現状、気温と感染拡大の相関は「あまりなさそう」である、というのが正直なところか。

 感染症の専門家も、今次コロナ禍がいつ終わるのか、誰しもが断定できる状況ではない。

 しかし私たちは、過去に目を転じて、過ぎ去った厄災の軌跡から現在にその教訓を汲み取ることはできる。ちょうど100年前に全世界的に流行し、世界人口の約3分の1にあたる5億人が感染。

 そのうち2,000万から4,500万人の命を奪った「スペイン風邪」のパンデミックは、私たちに様々な知見を与えてくれる絶好の「教科書」となり得よう。

 1918年~1920年にかけてパンデミックを引き起こしたスペイン風邪は、元来その発症地点がアメリカ・カンザス州の米陸軍兵営であったが、当時第1次大戦中で戦時報道管制の枠外だった中立国のスペインから情報が世界に発信されたことにより「スペイン風邪(スパニッシュ・インフルエンザとも)」と名付けられ、おおむね1918年9月末から10月初頭にかけて船舶を通じ日本に上陸した。

スペイン風邪には“第2波”があった

 『日本を襲ったスペイン・インフルエンザ』(藤原書店)の著者、速水融氏(以下速水)は日本におけるスペイン風邪を『前流行』(1918年11月~1919年6月)、と『後流行』(1919年12月~1920年6月)の2期に分けて分析している。

 一方、スペイン風邪が終息して約2年後の1922年、事態の対処に当たった当時の内務省(同省衛生局、以下内務省)を編として出された報告書『流行性感冒「スペイン風邪」大流行の記録』では、スペイン風邪の日本における流行を第1回、第2回、第3回の3つに分けている。

 速水の基準で言えば、内務省定義の第1回流行は『前流行』に。第2回の半分と第3回は『後流行』におおむね含まれる。いずれにせよ、スペイン風邪のパンデミックは、1回で終わることなく、大きく数回の波を経て到来し、丸2年をかけて漸く終息したという事になる。

 内務省の記述で興味深いのは、第1回流行を記した次の個所である(*筆者にて現代語訳等している)。

本病の死亡者数は大体において発生患者数と相平行して増減ありといえども、患者に対する死亡比例は最初は比較的低く、流行の経過とともに漸次その率を増せり(中略)かくの如く患者に対する死亡率の漸次増加を示したるゆえんは、大体において病勢に関係せるものにして、初期においては虚弱者、老幼者を除きては死亡するもの少なかりしも、流行の経過とともに病勢悪変し肺炎を併発する者多く、これがために虚弱者のみならず強壮者にて倒れたる者、少なからざりしと、その他種々の後発症により死の転帰を取りたる者多数あり(後略・内務省,106)

 つまり最初は身体弱者に死亡者が多かったが、感染が拡大するにつれて体力のあるものでも死亡するようになったという事で、これは現在のコロナ禍における欧米の事例とよく似ていると言えるだろう。

 感染者数が増大するにつれ、その犠牲者はしだいに壮健な者にも及んでくるという故事は、あらゆる感染症にとって例外ではない。

2020.04.27(月)
文=古谷 経衡