料理を「作らない・作れない」ことに罪悪感を持っている人に贈る、ベテランフードライター・白央篤司さんの金言&レシピ。

 冷凍食品にちょい足しするのも立派な自炊。簡単なことから始めてみませんか?


 ちょっと前にNHKの「あさイチ」という番組で、「名前のない家事」が取り上げられていました。

 家事といえば真っ先に料理や掃除、洗濯といったことが浮かびがちですが、名前もつかない細々とした作業がたくさんあるのが家の仕事というもの。

 それらを挙げて、アナウンサーが言った「こういうのも立派な家事ですよね」、という言葉がどうにも私は……引っかかってしまったのです。

 「立派な家事」というと、「立派じゃない家事」も生まれてしまう。そうじゃない。

 家事って、すべて「数珠つなぎ」だと思うのですよ。たとえば料理。スーパーで買ってきたものの個包装を取り除いて、出たごみを分別して、ハサミやら使った道具をもとに戻して、スーパーのビニール袋をしまって、さあようやく料理にとりかかる……と連続していること。一部だけを切り取って考えられるものじゃないですね。

 料理というと、多くの人は「調理そのもの」しかイメージがわきません。まるで、テレビの料理コーナーのように。食材は用意され、すぐに調理にとりかかれる。お皿も用意されている。食べ終わったうつわを下げて、調理に使ったものと一緒に洗い、元に戻すシーンは決してテレビでは映されない。

 やりくりを考えつつ買い出しするシーンも、冷蔵庫や冷凍庫のありものに思いをはせつつ献立決めするシーンも。下ごしらえだってあるし、そこで出た生ゴミをどうするかということも(かなり重要なテーマなんですよ、これ)。

 「家事としての料理」はすべて繋がっていること。調理は華やかな部分もあり注目されがちですが、必ず細々とした用意や片づけのあれこれが必要です。

 ぜんぶが、同等の仕事。料理に限らず、家事において何が立派とか上下とかって、ありません。

 「名前のない家事」が注目を集めている今こそ、「家事のランク付けをやめよう」と私は言いたいのです。「どれもが等しく必要な作業」と認識する。一緒に暮らす人も同様に。

 現代における「家事をシェアする」って、まずここから始まると思います。共同生活を始める前に、「家事に上下はない」ということを理解し合えていたら、こんなにいいことはないから。

 逆にいえば、そこを考えられる人かどうかを見極めるのも大事。そのうえでお互いの得手不得手を考えて、分担を決めていく。

 家事のランク付けをしていると、「私のほうが大変なことをやっているんだから」とか「このぐらいのこともできないの」などと、心を傷つけるような言葉も生まれがち。

 実際に家事をしている人でも、無意識のうちにランク付けってしちゃいがちなんですよ。もちろん労力の差はあります。けど上下を考えない。

 これを、現代の常識にしていきたい。前回に続いて、「家事の常識・令和版」みたいなこととして考えてみました。

2019.11.16(土)
文=白央篤司